#エッセイ(人間関係-指導)『ガンダムを観ながら思ったこと・・・』

 先週何気なくBS放送のチャンネンルを廻していたら”機動戦士ガンダム”が放送しているのを発見しました。子供のころ夢中になっていたので思わずチャンネルを止めて番組の途中でしたがそこから鑑賞することにしたのです。最初は子供のころの記憶が蘇るようで懐かしいという気分で観ていたのですが、そのうちにふと思うことがあったのです。ガンダムの初回の放送時には僕はまだ小学生でしたので、そこに出てくるロボット(モビルスーツ)のカッコよさにシビれていたのですが、この歳になって改めて観ると、子供向けの割にはちょっとした群像劇として完成度の高い作品だと気が付いたのです。
 主人公はアムロ・レイという16歳の少年何ですが、彼を取り巻く人物だけでなく、敵の兵士たちのキャラクター設定もちゃんとされており、物語に深みを与えています。今回僕が観た第3話では、アムロたちが戦闘から帰還して艦のブリッジに戻った時に艦長のブライト少尉がそれぞれの兵士にねぎらいの言葉をかけるのですが、相手によってその言葉使いや内容を変えているのです。一律に『お前らよくやった!』とは言わず、昔から信頼を置くリュウと、俄仕込みだけど才能を感じるアムロに対してでは、かける言葉が違うのです。アムロに対しては期待を込めているからこそあえてキツイ物の言い方をするのです。そして当のアムロはまだ少年なのでブライト少尉の意図が理解できないためにそのあとで愚痴をこぼしている場面が出てくるのです。
 実はこんな事は日々の実生活の中でもよく見る事と思うのです。会社の中なでも、スポーツのクラブチームなんかでもよく見かける光景です。期待をするからこそ敢えて厳しい言葉をかけるというのは何とも日本的な感じがします(外国のことは知りませんが・・)。
 そんなことを考えていたら子供のころ通っていた塾のことを思い出したのです。今思うと懐かしいのですが、とにかく厳しい先生だったという事を覚えています。それでもあの当時は僕も子供だったので、今にして思えば先生に叱られても、おっかないと思いつつも結構へっちゃらだったと記憶しています。ある意味では鈍感だったのでしょう。また、先生の方も期待をするから厳しく叱ったというより、ただ単に腹が立っただけだとは思うのですが・・・。塾の授業中にめちゃくちゃ叱られて帰宅した後にも家ではパクパクと夕ご飯をお替りするくらい食べ、そしてその翌週もへっちゃらな顔をして塾に行っていたような気がします。挙句の果てに先生からは『お前はえらいな・・先週あんなに叱られてもへっちゃらな顔をして元気にやって来て・・』と目を丸くして言われたことも覚えています。それもこれも今にして思えばあの頃の僕は何も考えていなかったのだと思うのです。自分が先生にどう思われているかとか、誰が贔屓をされているという事なんてこれっぽっちも考えてなかったのでしょう。だからこそ先生の前でも自然体でいられたのでしょう。もちろん自分を良く見せるなんていう事ももちろん考えていなかったと思います。たぶんそれは僕だけでは無かったと思うのです。小学校のクラスでもいろんな事をやらかす子は大体そんな感じだったと思います。おそらくですが、それはまだ子供で人生経験が浅いという事と、他人の目を気にするという発想がないという事だと思うのです。子供時代は誰もが目の前の事に夢中ですからある意味それは当然な事なのかもしれません。学校やその他のクラブ活動を通して人として成長をする中で、自分と他人の在り方を比較をするようになって初めて他者の目を意識し始めるのではないでしょうか。その根底には評価というキーワードがあると思います。
 組織の中で自分の置かれた立ち位置で指導者や同僚の何気ない一言に誰もが気になったり、鼓舞するための言葉を負担に感じたり、相手の意図を理解できなかったりしてそれぞれの人間関係が複雑になっているような気がするのです。そして子供の頃から叱られなれているからこそ相手(指導者)の厳しい言葉の中に期待と叱責を見分かる術を身に着けることが出来たのだと思うのです。
 現代の日本社会ではハラスメントという言葉が幅を利かせて、思い切った指導をすることが難しい時代になっています。何でも根性で乗り切れないという事は誰もが充分に分かっているとは思うのですが、でも時には厳しい言葉を投げかけてあげるという事も大切なのではないかと思うのです。各個人が出来る範囲の努力で頑張るという事だけではなくて、時には限界を超えるくらいのことを経験させるために時にはキツイ言葉があってもいいのではないでしょうか・・・。

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