マインドフルとトラウマ
情緒豊かな文章を見る機会がある。それは、noteで、本で、webで。
とても考えさせられたり、筆者に感服させられる。
こういう文を書くことが、私は長い間できなくなっていた。
小学校のとき、「自分の声は社会に通らない」と思い、感情のない淡々とした文章を書き始めた。
高校の頃の自己紹介に、「細く、だんだんと消え入っていきたい」と書いた。
私は、父のDVから来る、うつ病だった。適応障害も起こしていたのではないかと思う。
どうしてだか、小さい頃にこういったつらい経験をした人は、薄っぺらに見える文章しか書けなくなる。
この間、弟の感想文を添削した(弟も同じ環境で育った)が、どう見ても、感情が少なく、指導者の話をハイ、ハイと聞き指示に従う、よく言えばイイコちゃん、悪く言えば無機質な人の文章に見えた。
私には、豊かな情緒がなかった。今、それを客観視できるのは、治療とリハビリが進み、一歩引いてあの頃の自分を思い返すことができるからだ。
苦しみ深かった。楽しみなんて殆ど感じられなかった。
今、こうしてトラウマ治療を受けていて、思う。私の取り戻した感覚は、普通の人の感覚は、なんて楽なのだろうかと。
だから、思う。この、トラウマ治療がもっと世に広まれば良いと。
そのために、私は取り戻しつつ有る情緒と文章能力で、何か行動を起こして行きたい。
たかほ
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