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【エッセイ】湯けむり一人旅

カラッとした秋晴れが続いている。

気温も程よくて、家にいるのがもったいないくらいだ。コロナも落ち着いてきたし、久々に旅に行きたくなった。

早速、馴染みの宿に電話を入れた。長野の山奥にある、夫婦で営むこじんまりとした旅館だ。繁忙期でも一組、二組しか客を入れないので、いつ行っても静かでのんびりできる。

きっかけは湯治を兼ねた、一ヶ月の長逗留だった。

女将さんが最終日に、車で近所の名所を回ってくれた。野沢温泉で美味しくて有名だと言うピザを食べ、飯山の高橋まゆみ人形館に行った。帰りに立ち寄った境内の桜は、今でも鮮明に覚えている。

以来、毎年春と秋に訪れ、もうかれこれ十年以上経つ。

行くと大抵は二泊から三泊、余裕がある時は一週間ほど滞在する。泊まり客が他にいないことが多いので、いつも源泉かけ流しの湯船で持ち込んだ本を読む。ヨレヨレになってしまうけれど、これ以上の至福はない。

いつからか、最終日に宴会をしてくれるようになった。その時ばかりは部屋食でなく、一家のコタツで食事を共にする。

料理も近所の漁師が仕留めたイノシシや鹿などの鍋料理が出る。いつもと違う味を楽しみ、地元の酒をこれでもかというほどいただく。

問題は、その量だ。

ある時は記憶をなくし、ある時はチェックアウトの時間になっても起きられず、食べられなかった朝食を、女将さんが弁当にして持たせてくれたりした。帰りの電車を廃人のようにして帰ったのも、一度や二度ではない。

ひとえに旦那が飲ませ過ぎる。

酒癖も悪い。酔って騒ぐ、泣く、絡むー私に向かい暴言を吐くこともしばしばで、止めに入った女将さんと喧嘩になったりする。

たまに、帰郷した息子さんが同席することがある。

IT関連の仕事をする息子さんは爽やかで人当たりもいい。しかし酔った旦那に対する姿勢は人一倍厳しく、浴びせる言葉は容赦がなさすぎて居た堪まれなくなるほどだ。

その宴も、去年と一昨年と開かれなかった。

私はマスクをして、いつにないよそよそしさで滞在の日々を過ごした。二人も東京から来た私を、少し警戒するように見ていた。

「結婚が決まりました」

前回の宴では、息子さんがそう報告してくれた。女将さんと旦那さんは目に涙し、幼い日の思い出などを語ってくれた。

祝いの酒を送りたかったが、式の連絡がないまま今日になる。

聞くのもはばかられた。人が集まることに向けられる非難の目は、きっと東京の比ではないだろう。

この秋、久々に会いに行く。今週末は手土産を買いに行くつもりだ。

秋はその年のボジョレーを持っていくことが多かったけれど、コロナになってからやめた。酒を渡せば、いらない気を遣わせてしまうのは目に見えている。

でも、今年はどうだろう。ワクチンを打った安心感か、それとも彼らと卓を囲みたい一心か。

聞けば今年のボジョレーは出来がいいらしい。何を手土産にすべきか、今も迷っている。

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