「誰かのため」は「自分のため」でもある
面接での質問
自分:「僕は家族のためを思うと辛いことでも頑張れる人間です!」
面接官:「君、それはそれでいいけど他人依存を押しすぎると落ちるかもね。」
21卒のときのどっかの2次面接。これを言われたときものすごい違和感を感じた。
新卒の面接で、
・「辛いときなにをモチベーションにしてますか」
・「挫折したときどうやって這い上がりましたか」
・「あなたはどういうときモチベーション高いですか」
っていうのを大体聞かれる。僕はこれに対して
「周りの人間のために」「先輩のために」「家族のために」って答えてた。
綺麗事かもしれないけど、自分の中ではこれが本当の気持ちだった。
高校の部活、大学のサークルその他諸々の結果残したときとか辛いときって、大体他の人の役に立ちたい・貢献したいって思いが強かった。
特に僕の家庭は少し事情が複雑なので、親へ恩返ししたいという思いが強かった。
それもあって面接の時は上のように答えてた。
でもここ最近この答えが変わってきたように思えるので書いてみる。
本当にベクトルは外向きなのか?
上の答えでは、
頑張る方向・貢献したい方向→自分以外の身近・お世話になった誰か
である。先輩、中学からの同期、サークルの同期、親とか。具体例を出そう。
中学の時、部活で先輩にめちゃくちゃお世話になった。
一緒に自主練付き合ってもらったり、メシ奢ってもらったり仲良くさせてもらった。
僕はその先輩に恩を感じていて、先輩を喜ばせたかった。
恩を返すには、教えてもらった分勝ち上がればいいと思った。
だから辛い練習でも、先輩のために頑張れた。
上の具体例のように、自分が頑張ることを通じて上の人に何かプラスなことを与えられたら嬉しい、その嬉しい姿を見たら自分も嬉しいから頑張れる。だから自分は誰かのために頑張れる人間だ、と思ってた。
でも最近少し違うように思えてきた。
もう一度部活の例を出して考えてみる。さっきの流れは、
部活で先輩にお世話になった→先輩に恩がある→先輩を喜ばせたい→自分が勝つことで証明→大会で勝つために練習を頑張る
だった。でも今思うと、「先輩を喜ばせたい」の外向きのベクトルだけでなく、
「お世話になった自分が結果残せないと先輩から見放されてしまうかも」
という、危機状況を回避するための内向きのベクトルもあったことに気づいた。
そう考えた時、他人のためにやっていたことも、ほぼ全部自分にもベクトルが向いていたことを実感した。
・サークルでみんながやりたがらないような仕事をやる
→自分の評価が上がってほしい。よく見てほしい。
・みんなの写真を撮る
→写真を褒めてほしい。自己肯定感高めたい。存在価値ほしい。
・後輩にメシとか酒奢る
→いい先輩に思われたい。ダサい先輩に思われたくない。
・会議で辛くても議論しまくった
→自分の代でダメになったら、先輩に申し訳が立たない
もちろん全てのことが自分のためではない。他人のためを思っているけど、少し自分のためにもなるな、と計算して行ってしまっていることもある。
だから、その物事のために頑張りたいって思っても、100%そのモチベーションは向けられてないかもしれない。「自分がこうなりたい、これは回避したい」って思いもあるってことを認識した。
モチベーションの種類
モチベーションの源泉を分けると3種類あると言われる。
*今回はLMI社の「モチベーションの公式」を用いる。
参照:https://solution.lmi.ne.jp/column/archives/4748
・目標の魅力
「これ達成したい!」ってもの。目標そのものややっていることに対して魅力を感じている時。レンガ積みの話が有名。
・危機感
「これしなきゃやばい!」ってもの。やらなければ自分に悪いものが降りかかってくる時。夏休みの宿題とか。
・達成可能性
「これ続けてれば目標達成できそう!」ってもの。このままいけば達成できそう、これやればいけるって感じてる時。
この「目標の魅力」×「危機感」×「連続可能性」がかけ合わさってモチベーションの高さが決まってくるそう。
先ほどのベクトルの方向を考えると、モチベーションはベクトルとこの3種類で分けて、6種類のモチベーションのあり方で定義できそう。
例:高校の部活で全国大会を目指すときの練習のモチベーション
・目標の魅力×外向き
全国出て、家族や部活の仲間を喜ばせたい。
・目標の魅力×内向き
全国出て、女子にモテたい
・危機感×外向き
今の練習のままでは、全国に出てみんなを喜ばせられない。
・危機感×内向き
全国出れなかったら家族をがっかりさせてしまい嫌われる。
・達成可能性
この練習続けてれば、勝てる気がする。その成長を感じられる。
達成可能性だけベクトルの方向がちょっと考えてもわからなかったので、、、ごめんなさい。
言いたかったこと
んで何が言いたいかって言ったら、冒頭の部分です。
人間、他人のためだけに頑張れるほど純粋な人間でもないなと思いました。ただそれは悪いことではなく、誰にでもあって然りのものだと思います。
問題はベクトルを向いている割合はどっちが大きいか、というとこだと思います。
利他的か、利己的か。GIVERか、TAKERか。
基本的には、誰かのためになることを考え行動し続けられる人間でありたいです。
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