「多様性」という言葉で終わらせたくない
本日よりガイアックスさん主催の、オンライン就活の「就活カレッジ」に参加しています。
毛嫌いしている就活系のイベントでもこれは好きです。アレルギー反応を起こさず取り組むことができました。
本日やったこと
自己分析講座
ざっくり話すと、就活から離れた「どう生きたいか」から入り、「その生き方を達成するためにはどうするか」を考えるもの。
就活よりではなく、「どう生きるか」にフォーカスしていた点がとても好印象でした。
流れはこんな感じ
前半のテーマは「願いを見つける」
具体的には以下のようなワークをした。
2〜3人に分かれて、
①話し手が過去の1番嫌だった出来事と、その時の感情、本当はどうしたかったのかを話す。
②次に、聞き手が話を聞いて感じたことを伝える。
③最後に、話し手がフィードバックを受けて感じたことを話す。
④話し手と聞き手を交代し①〜③を繰り返し行う。
後半のテーマは「軸を言葉にする」
具体的には以下のようなワークをした。
2〜3人に分かれて、
①話し手は実源したい未来、その未来と自分の願いとの関連点を伝える。
②話を聞いて、聞き手はフィードバックする。
前半/後半も2〜3人のグループワークが終わった後、全体で意見や感想をシェアする時間があった。
(なつさん引用させていただきました。。。)
実現したい未来は皆さん素敵なものでした。本当に願い、行動し続けたら絶対世の中よくなるだろう、そう思える素敵なものでした。
ただ、ここで一つ思ったこと。
多様性ってなんだ
今日も今日とて「多様性」という言葉が多く出てきました。
「多様性を持って生きたい」
「多様性のある会社で働きたい」
「多様性が受け入れられる社会にしたい」
さて多様性多様性いうけど、どう言ったものが多様性それが「ある」とされている世界はどんな世界なのか、「受け入れる」ってどんな思考・行動なのか。
とりあえず辞書に聞いてみよう。
Q.多様性とは?
いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。「生物の多様性を保つ」 by goo辞書
幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。 by wikipedia
よくわからん。
思えば最近よく「多様性」をニュースや新聞で見聞きすることが多くなりました。
例えば、
・女性の管理職を増やすことで組織の多様性を向上させる
・障がい者や外国人など、文化や背景が違う人と交流し多様性を認識する
みたいな。
要は、凝り固まった人たちじゃなくて、いろんな人がいるようにしようよ、そのほうがいろんな考えが集まるし今までいなかった人やなかったアイデアが出てくるよ!ってことを推進しているのでしょうか。
いってる感じはいい印象だなーって思います。
私個人では、「多様性がある状態」を以下のように考えています。
「考え・思想・判断基準・得意不得意・身体的特徴・性的特徴のどれもに正否がなく、ただあるものとして対等に扱う」
後半の文章が特にポイントです。
現状の多様性って言葉は、マイノリティの人を尊重する文脈で多く使われる気がします。
私はここに違和感を感じてます。
女性だろうがLGBTだろうが障がい持っていようが同じ一人間です。
それぞれに特徴があり、文化や思想、生活の違い、得意不得意があるものです。
どんな人にも凹凸があり人間それが普通である以上、一人一人がユニークで、なんなら一人一人が世界に一人しかいないマイノリティだと言えると思っています。
そもそも一人一人の多様な個性の集まりが多様性をなしている。
もはや多様性を受け入れるというより自分自身が多様性の一員であるという表現の方が正しいのかもなと思えます。
とまぁ偉そうに述べてきましたが、以前サイボウズさんのオウンドメディアで取り上げられているのをみて深く共感して、この考えに至りました。
あぁサイボウズさんの考えすこ。
カオナビさんのもすこ。
ここまで私の「多様性」に対する考えを述べてきましたが、この「多様性」に対する捉え方・考え方も多様であっていいと思ってます。
マイノリティがより多くのチャンスを得られるようにすることが「多様性」でもいいし、みんなの意見を受容することが「多様性」でもいいし、ただいろんな人を集めて同じチームにすることが「多様性」でもいいし。
別になんだっていいと思います。
ただ、「多様性」という言葉に甘えてわがまま貫いてもいいかと言われたらそれは違うと思います。
あくまで各々の考えなどが「対等に扱われる」だけであって、各々の考えが優先されるわけではないと思っています。企業で言うとするなら、対等に扱ったあとで自分たちが目指す方向と考えを照らし合わせ、そこに合うものが選ばれる。
うまいこと書こうとしたけど最後の部分だけはなんかしっくりこない。
多様性のゲシュタルト崩壊起こしそう。
多様性という言葉でなんとなく終わらせるのではなく、自分が望んでいる多様性はなんなのか、どういった状態なのか、自分の言葉で言えるよう深く掘っていきたいものです。
おまけ
Googl Trendsで調べた「多様性」に興味がある地域をマップで表したものです。
これを見ると、地方の方が多様性が低い、と言われる理由がわかるような気がします。そもそも興味がないのだから。。。
追記(翌日)
あらゆる人を対等に扱う、といっても多分自分はマイノリティの人を「弱者」としてカテゴライズしてしまう気がします。
「貧困とセックス」を読んだときにも思いましたが、自分には想像できない世界で過ごしている人もいて、仮にその人を目の前にしたときに、対等な姿勢でいられるかと言ったら不安です。間違いなく「かわいそう」と思ってしまいそうです。
障がいを持っている私の親は「かわいそうと思われることは嫌」と話してくれました。
しかし、そんな親とずっと接してきている私ですら「かわいそう」と思ってしまう瞬間があります。そんな自分が「どんな人でも対等に扱う」なんて無理なのではないかと思ってしまいます。
仮に、「弱者」とカテゴライズされるような人たちに対して抱く「その人たちを救いたい」という感情と「かわいそう」という感情は同じなのでしょうか、違うものなのでしょうか。
果たして「多様性を受け入れる」と話す人は、「弱者」を目の前にしたときに対等な姿勢でいることができるのでしょうか。
勝手に上流階級の奴らが自分に酔いしれるためにエゴを振りまいているだけなんじゃないのか。
自信がなくなってきました。
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