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ハイクイ

「あの、娘さんと結婚させてください」
違う、とわたしは思ったが遅かった。
「はぁ?まだ結婚してなかったとねー」
と彼女の父親は言った。わたしは驚いた。父親は笑っていたが、そう言っているのは半ば本心でもあるようだ。
 「いや、まだしてなかったですよー。勝手にはしませんよー」
 わたしはいつも彼女の家に入り浸っていたし、夕食をご馳走になった後にそのまま泊まっていくこともしょっちゅうだった。セックスするのはいつも2階の彼女の部屋だった。彼女の部屋でするようになって始めのひと月ほどは、テレビやコンポの音量を大きくしたり、窓を開けて外の雑音を取り込んだりしてセックスの音を誤魔化そうとしていたのだが、彼女がそもそもセックスの最中にほとんど声を出していないことに気付いた。彼女は常に幸せそうな表情をしていたが、喘いではいなかった。わたしは彼女がそのような声を絶対に親には聞かれたくないのだろうと分かっていたので、そのことを彼女に聞くこともしなかった。
 付き合って一年ほどしてから、たまには雰囲気を変えてしてみようという話になった。近所にあった「太陽の道」というラブホテルに車で入った。そこでもやはり、彼女は声を出さなかった。
「声出してよ」
ともわたしは言わなかった。
 ずっと彼女の部屋でしていたから声を出さないのが習慣や癖になってしまったのだろうか、と考えた。いや、ここが自分の家ではないにしてもそんな声を出したら親に届いてしまうと心配しているのではないか、とも考えた。いや、そもそも彼女はそのような声を出す性質ではないのだろうと考え、それに納得した。
 彼女の親に結婚の許しを貰いに行く前日、わたしは死んだ従兄弟の墓参りに行った。従兄弟は5年前に17歳で死んだ。
 夏休みが終わったばかりの9月だった。大型の台風が最接近していた真夜中に友人9人で原チャリ5台に跨り、山へ向かった。8人はそれぞれ2人乗りをし、従兄弟だけが1人乗りだった。原チャリの運転が荒かった従兄弟の後ろには誰も乗りたがらなかった。それが台風となれば余計に嫌がっただろう。
 疾風で捻じ曲げられて倒れんばかりにはみ出してくる樹木や絶え間なく飛んでくる枝葉を避けながら、従兄弟たちは舗装された山道を頂上へと向かった。
 頂上に着いた従兄弟は乗り捨てるように原チャリから降り、ヘルメットボックスに入っていた缶コーラを思い切り前方へ投げた。缶コーラの軌道は従兄弟のわずか数メートルほど前でU字に折れて曲がり、もの凄いスピードで従兄弟の頭上を飛び去って行った。そのような強風の中を9人はずぶ濡れになりながら、素足で走り周って騒いだ。
 帰りは原チャリ鬼ごっこをしながら山を下ろうという話になった。それは従兄弟は生前、生まれきてから今まででこれが1番楽しい遊び、とわたしに言っていたものだった。1人乗りだった従兄弟が自然と最初の鬼に決まった。
「10秒してから来いよー」
と誰かが言い、2人乗りをした4台の原チャリは頂上を出発した。従兄弟はきちんと10秒してから出発した。逃げていた4台の最後尾を走っていた原チャリの後ろに座り、雨でびしょ濡れになったTシャツを頭上で振っていた半裸の男、従兄弟の一周忌の時にわたしの所に寄ってきて「ラブレボリューション」なる二泊三日のセミナーに勧誘してきたその男が生きている従兄弟の最後の目撃者になった。
「上から降り始めて何個目かのカーブで振り向いたら、原チャのライトが見えてきたけん、「ヤバいヤバい追い付かれるっ」って興奮して哭びながら、こうっ、こうっ(左右に首を振って振り返る仕草をしながら)って消えたり付いたりしながら段々近づいてくるライトば見よって、「あーっ、もうダメやんっ」って思いよったらライトがいきなり見えんごとなった。木が揺れる音がデカすぎてあいつが谷に落ちたのは何んも聞こえんかった」
とわたしに話し、一度は同い年の友人の所へ行ったがすぐに戻ってきて 
「セミナーに来たらお前、自分も新しゅう変われるし、あいつにも会えるようになるぜ」
 わたしが従兄弟の墓参りをする時は、必ず彼が好きだったミルクセーキを買って供えた。それは従兄弟と良く一緒に飲んでいたミルキセーキで、売っていた自販機があまり有名ではないメーカーのやつだったから、他の場所でそのメーカーの自販機を見ることは無かった。たまに見つけても自販機自体にミルクセーキが売ってなかったりしたので買う自販機は決まっていた。わたしはミルクセーキは甘すぎるので好きではなかったが、いつも従兄弟に飲まされていたので、従兄弟が死ぬ頃にはわたしもミルクセーキが好きになっていた。
 彼女が恋人になってしばらくしてから、彼女が一緒に従兄弟の墓参りをしたいと言い出した。彼女と一緒にミルクセーキを買いに行った。その前に買ったのは多分3ヶ月くらい前だったと思う。いつもの場所からのミルクセーキの自販機は消えていた。周りの景色も建物も何も変わりがなかった。自販機だけが消えていた。わたしは勘違いに化かされたような気になった。自販機が置かれていた所にはコンクリートの基礎が残っていた。
 その時にわたしは最新を始めなければと思った。最新を始める、という言葉がただ浮かんできただけで、それが何かはよく分からなかった。





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