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サンバ

 昨日、家から一番近いツタヤに車で向かっていた。『脳内ニューヨーク』のDVDをリクエストしに行っていた。その途中にある「ほっともっと」の横の駐車場で、車椅子に乗った老爺が弁当を食べていた。前にもそこで弁当を食べている車椅子の老爺を見たことを思い出した。同じ老爺なのかは分からない。前は通りすがりに数瞬見ただけだったのでその風貌まではよく見ていなかった。
 老爺の車椅子は「ほっともっと」の店舗の横に直角に並んだ駐車スペースの一番道路側の「1」と白くペイントされた駐車スペースのほぼ真ん中に停められていた。老爺は自分の車椅子をどうやら乗用車などと同等に考えているらしい。 ビニール袋、昭和に流行ったようなバネが何本か付いた筋トレ器具、キリンのマスク、紙袋など雑多な物が周りに吊り下げられた車椅子に座った老爺は片手で弁当の底を支えながら、一心に箸を動かしながら弁当を弄っていた。弁当が入っていたと思われるビニール袋と弁当の蓋のようなものは老爺の足元に転がっていた。道路が少し渋滞していたのもあり、前回よりは少し長く老爺を見ることができたが、箸を口に運ぶところまでは見れなかった。
 は?あんたたちはこれを車椅子って呼ぶっちゃろうもん。てゆうことは車やろうもん。車なのになんでここに駐車したらいけんとや。でそもそもを言うたらこれは椅子でもないったい。これは勝手にここに来たわけやない、俺がこれに座って自分で運転してっ、ここまで来たっちゃけんが。ま、あんたに言うても仕方ないことかも知れんけど。やけん今度からはこれのことは車座席、って呼びない。いいな?
 ほっともっとの店員か警察に注意されたら老爺はおそらくそんなことを言って困らせるのだろうと思った。わたしは帰りが楽しみになった。ツタヤで『脳内ニューヨーク』のリクエスト手続きを終わらせ、ほっともっとに向かった。なんとなく老爺はまだあそこに居るような気がしていたが、老爺は車椅子を隣の「2」の駐車スペースに移動させており、尻を座席の前ぎりぎりまでずらし、両手を左右の腕置きを跨いで外側にダランと垂らし、車椅子の内部に埋もれるように座っていた。顔は反対を向いていた。
 わたしが家に帰るには、ほっともっとがある県道からどこかの時点で右折しなければならない。ほっともっとの前を通らないとすれば右折する交差点は2つ増えるが、ほっともっとに寄ってしまったからには右折する交差点は主に3つしかない。そのどれかで曲がろうと思っていたけど、今日に限ってか、どの交差点も右折する車で渋滞している。いつも渋滞しているかも知れない。わたしはその全ての交差点で右折するのを止め、右折する車が1台もいない交差点までひたすら直進した。家に帰り着いた時、さっき自分はなんでほっともっとに寄って車椅子の隣に車を停め、窓を開けて老爺に話しかけなかったのだろうと悲しく後悔した。人はなんで右側にばかり用事があるのだろうか。

 

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