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ROLLING ON THE ROAD〜僕が見た東京〜

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#オリジナル・ラヴ

僕の体験した東京の90年代 第6回 オリジナル・ラヴ  のプロデュース、マネージメントを終了するまで。

僕の体験した東京の90年代 第6回 オリジナル・ラヴ のプロデュース、マネージメントを終了するまで。

1991年11月20日にセカンド・シングル「月の裏で会いましょう -Let's go to the darkside of the moon-」が発売。

この曲は高城剛が初めて監督したテレビ番組「BANANACHIPS LOVE」の主題歌にタイアップが決まって、さらに認知度が高まった。
でもこの辺りから、これから自分は芸能界の仕事をしていくのだろうか?と葛藤が生まれ、のちに離れることに繋がってい

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僕が体験した東京の90年代 第3回 オリジナル・ラヴとブルートニック 必然性のある偶然の出会い

僕が体験した東京の90年代 第3回 オリジナル・ラヴとブルートニック 必然性のある偶然の出会い

初の渋谷クアトロ・ワンマンを大成功に終え、
3カ月毎のクアトロでのレギュラー・ライブがスタート。

田島君のやりたいサウンドにメンバーが入れ替わり、立ち替わり。
 
そんな中、レッドカーテンの頃からのオリジナル・メンバー小里誠が去ることになる。(その後彼はコレクターズから自身のユニット、フランシスで活動中。うちのパーティにも参加してくれている。)

ベースを誰にしよう?オーディションを繰り返す。

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僕が体験した東京の90年代   第2回 ピチカートファイブとの出会い。

僕が体験した東京の90年代 第2回 ピチカートファイブとの出会い。

田島貴男君との出会いの前に、
やはりピチカートファイブとの出会いの話になるかな。

初めてピチカートのライブを見たのは渋谷パルコ・パート3だったと思う。細野晴臣さんのノンスタンダード・レーベルのイベント。
ブルートニックとピチカートファイブの対バン、に僕がDJとして参加。

まだデビュー・シングル「オードリー・ヘップバーン・コンプレックス」がリリースされたあたり。

その後、CBS SONYから出

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僕が体験した東京の90年代 第1回 オリジナル・ラヴ

オリジナル・ラヴは僕が初めてトータル・プロデュースとマネージメントを手掛けたバンドだ。

サウンドはもちろん、スタイリングからアルバム・ジャケットの
ビジュアル、ステージの演出まで全てを手掛けた。

1991年10月21日、オリジナル・ラヴ 初のホール・コンサート。
会場は渋谷公会堂。

メンバーの衣装は、僕が当時コレクションしていたスーツ、エルメネジルド・ゼニアの型をモチーフに、特注で誂えた紺の

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