最近の記事

三甲美術館『女流画家展』と常設展示・その1

先週、岐阜・柳ケ瀬画廊の『熊谷守一展』を見に行ってきました。 その際、画廊の方が「とても良い美術館がありますよ」とお話してくださったのが、三甲美術館でした。 岐阜現代美術館に篠田桃紅を見に行く予定だったのですが、知らなかった美術館を教えていただいたことが嬉しくて、予定変更、さっそくおうかがいしました。 金華山と百々ヶ峰の間、長良川を見下ろす山腹に、緑に囲まれてある、落ち着いた雰囲気の建物で、対応して下さった係の方も企業の受付のようで、美術館というより、何かの式場といった雰囲

    • 名都美術館『福田豊四郎と堀文子』展・その3

      そろそろ展示替えでしょうか。 こんなペースで間に合うのかしら。 堀文子『紫の雨』 藤の花の季節。 「藤の花の名所」と名乗る各地から、一面の藤棚の映像が届けられます。 春と夏の間のさわやかな青空から降る陽射しが、梅雨前の、明るい緑色の葉を透かして、視界一杯に滴る紫の花を明るく照らす様は、それは見事なものでしょう。 だけど自分は、名所の名にふさわしく、広い藤棚いっぱいに埋め尽くすように咲き誇る藤の花よりも、山の中で、あまり人に見られることもなく、木々にまぎれてポツリポツリと

      • 名都美術館『福田豊四郎と堀文子』展・その2

        前回の続き。 堀文子『廃墟』 「震災を経験し、実際に目にした廃墟にて、何事もなかったかのように歩むカマキリに深い印象を受けた」旨の解説を聞いて、いささか恐ろしい想像をしてしまいました。 さわやかな色調に、白ばむほどに明るい画面なのに、生命がやたら遠くあるように見えます。 茶色がかった白く四角い建物は、棺のようでもあり。 太くうねる茎に、大振りの盃のような真っ白の花は、骨のようでもあり。 山ブドウは、たっぷり果汁を含んだように瑞々しく実っているのに、二羽のカラスはそれには目

        • 名都美術館『福田豊四郎と堀文子』展・その1

          去る四月十四日、学芸員ギャラリートークを拝聴しつつ観覧してまいりました。 感じたことなど、思い出しつつ書いていきたいと思います。 堀文子『山』 盛り上がった山塊は、黄泉の国に至るまで根を張っており、自分の足元の地下にまでその裾が広がっている気がして、その奈落の底から伸びてきたような樹は、生臭いほどに赤く、まるで脈打つ血管のよう。 そんな印象から、片岡球子作品を思い出されました。 干支が一回り違うから同世代とは言えないでしょうが、同じ女子美術大学の出身であるし、どこかで交わ

        三甲美術館『女流画家展』と常設展示・その1

          悪から遠ざけるもの

          介護現場での虐待が報道されることがあります。 自分も、虐待をしそうになったことがあるので、それについてここに書きます。 ずいぶん前、介護の仕事をはじめて間もない頃のこと。 一通りの手順は覚えたものの、段取り良くすすめることなど夢のまた夢、むしろ慣れない所作に、体の痛みや精神的なストレスの方が勝る有様で、はたして仕事としてやっていけるのかどうか、それすら考えられませんでした。 その日も、私の仕事は遅れていました。また、疲れてもいました。 憂鬱な気持ちのまま、寝たきりの利用者

          悪から遠ざけるもの

          イースター(復活節)に考えたこと

          洗礼を受けたころ、 ミシェル・クオスト『神に聴くすべを知っているなら』 という本をいただきました。 詩集というべきか、祈りの本というべきか。 著者の祈りや、切実な訴えがつづられ、その中には 著者の言葉にイエズスが応える、という型式のものがありました。 今回、思うところあって、この一文を記すに際し、 自分もその型式に倣います。 私は以下のように祈った。 イエズス、 自分が働いているのは介護老人保健施設です。 心身に不具合のある老人が、病院からは退院したものの、 まだ家庭には

          イースター(復活節)に考えたこと