悪から遠ざけるもの

介護現場での虐待が報道されることがあります。
自分も、虐待をしそうになったことがあるので、それについてここに書きます。

ずいぶん前、介護の仕事をはじめて間もない頃のこと。
一通りの手順は覚えたものの、段取り良くすすめることなど夢のまた夢、むしろ慣れない所作に、体の痛みや精神的なストレスの方が勝る有様で、はたして仕事としてやっていけるのかどうか、それすら考えられませんでした。

その日も、私の仕事は遅れていました。また、疲れてもいました。
憂鬱な気持ちのまま、寝たきりの利用者様のフロアに行き、排泄介助に入りました。
既に自分で食事をとることもできず、流動食を管で胃に注がれている方々。自分で寝返りもうてず、決められた時間に体を転がされることで、なんとか褥瘡を免れている方々、発語もできず、そもそも語る相手もおらず、なにもできぬまま、ただひたすら白い天井を見上げているだけの方々。

この方々は、どうして生きているのだろう?
そもそも、生きていると言えるのだろうか?
だけど、それを疑うのであれば、この方々のために働いている自分自身だって疑わしい。
なぜ生きているのか、生きていると言えるのか?

浮かない気持ちのまま、何人目だかの排泄介助に入りました。私より二回り程度年上の男性。父よりも若いのに、認知症が進んで、目は空いているものの焦点は合っておらず、意識も薄く時折うめき声を出す程度。四肢の拘縮も強く、自力では体を動かせない。大柄な体躯も相まって、身体介助には毎回、小柄な女性被介護者の何倍も、手間、時間、体力を消耗する。
その時の排泄は量が多く、成人用紙おむつからあふれ出し、寝間着もシーツも汚染していました。
単なる排泄介助に終わらず、全て着替えさせて、寝具も交換しなければならない。考えただけで気が遠くなりました。
それでもなんとか、汚れた体を清拭し、寝具を取替え、着替えさせ、ようやく、あとは紙おむつを閉じれば終わりという所まで来ました。
しかし既に体力も気力も尽き果て、予定の何倍も時間が過ぎていて、そのまま座り込んでしまいそうでしたが、介助しなければならない方々も、まだ何人もいて、他にしなければならない仕事も山積み。
呻きながら立ち上がり、最後に紙おむつを閉めようとしたところ、失禁がありました。
閉じかけたおむつから大量の尿があふれ、着替えさせた寝間着はたっぷりと濡れ、新しいシーツの上に大きな水たまりができました。
すべてやり直し。

頭に血が上り、視界が真っ赤になりました。
この時、少し意識を失っていたのか、記憶が飛んでいます。
気が付けば、私は彼に向かって大きく拳を振り上げていました。
私の体は、拳を振り上げ、振り下ろそうとしているのに、全身がこわばっていて、やたらと冷たく、固まってしまっていました。
わずかな間でしたが、呼吸もしていなかったように思います。

ようやく息ができるようになった時、自分がしようとしていたことに気がづいて、恐ろしくなりました。しかしそれ以上に、自分にいったい何が起こったのか、まるで理解できませんでした。

暴力を振るわずに済んで安堵し、気持ちが落ち着いた私は、その後、うわべでは何事もなかったように仕事を終えましたが、それ以後、自分は、この出来事の不思議さに、すっかり取りつかれてしまいました。
なぜ自分は、拳を振り下ろさなかったのだろう?
いや、振り下ろせなかったのだろう?
私の体をあの一瞬、固めたのは、いったい何だったのか?
しばらくはそればかり考えていました。

それは良心や理性、自制心や常識などによるものではありません。
私自身が、人並みか、ともすればやや劣る精神しか持ち合わせていない事は、何度も思い知ってきたことです。
そもそも、その瞬間、私は頭に血が上っていて、まったく心が働いていませんでした。
規則や罰則、損得勘定などを考えた結果でもありません。
まったく一瞬のことで、頭を使うような暇もなかったのです。

だから、私の拳を止めたのは、私自身ではなく、私以外の何者かの働きだとしか、考えられませんでした。

天使か何かに、腕をつかまれたのでしょうか?
そうではありません。そんな姿も見ず、声も聴きませんでした。
もしもそうだったら、自分はアブラハムと改名しなければならないところです。

そんな馬鹿げた事まで頭に浮かんでしまうような、そんなある日、寝たきりの利用者様に、お見舞いの方が見えました。
とある女性の利用者様のご家族の、年配の男性で、十日で一度くらいの割合でいらっしゃる方でした。
その女性の利用者様は、既に意識がほとんどない方で、会話どころか、うめき声ひとつ聞いた事がありません。目は開いていても、その瞳はまっすぐ天井に向けられたまま動きません。
それは、お見舞いの方が来ても同じでした。
何の反応も、変化もなく、ただ横たわっていらっしゃいました。
お見舞いに来られた男性も、特に話しかけたり手を握ることもなく、その目を見つめることすらないまま、ただ面会時間いっぱい、ベッドの傍らの椅子に座って、静かに読書をして過ごされるのでした。

その景色に、私の拳を止めたものと、同じ力を感じて、思い出しました。
他にも、同じように私を悪から遠ざけたものが、いくつもあったのです。今まで何度もそういう経験をしてきたのです。

思えば、初めて介護という仕事に就いた自分に、指導をしてくださった方々。
介護職のSさんや看護師のIさん、主婦として母としての務めと業務の両立だけでも大変なのに、私が年上の男性であるという事にまで、気を遣ってくださっていました。
他にも、AさんやOさんや、振り返ってみれば、自分がどれほどわがままで物わかりが悪かったか、顔から火が出る思いですが、それでも根気よくお付き合いくださいました。

利用者のYさんは、最初に私にお礼を言ってくださった方でした。セルフネグレクトの果てに施設に入られた方で、入所後も介護拒否があり、初めての介護で手際の悪い自分には厳しい言葉もいただきましたが、だからこそ、初めていただいた感謝の言葉は忘れられないものになりました。
自分には思いもよらないような、厳しい経歴をお持ちなのに、素敵な笑顔を見せてくださっていたMさんや、三河地震や戦中のこと、伊勢湾台風のこと、地元に昔あったお菓子工場で働いていたことや、季節折々の畑仕事や作物のことなど、たくさんお話してくださった、何人もの利用者の方々。

介護の仕事に入る前にも、仕事に対する姿勢について、責任や成果の喜びについて、よくよく仕込んでくださった町工場のB親方、物書きをしていたころに、つたない私の作品に素敵な絵や音楽をつけてくださった方々や、またそれを喜んでくださった皆様。

さらには、いまだに慕われている学生時代の恩師や、その心境を気遣って集まる同窓生たち。
父母はもちろん、共働きだった両親を助けて、私の面倒を見てくれた親戚、祖父母。

私の記憶の一番最初は、祖父の腕に抱かれて、両親のもとに運ばれている時のことで、背中にはたくましい腕を感じ、一切の不安はなく、見上げれば、青い空にそびえたつような、まっすぐに前を向く祖父の姿がありました。

私に罪を犯させなかったのは、それらの、いままで私に与えられてきた全てです。
それら全てが、拳を振り下ろせないよう、私を変えていたのです。
その一つ一つが、私を、一歩一歩、悪から遠ざけていたのです。

それらは、私が優れていたから与えられたのではありません。
私が何かをしたことで、引き換えに手に入れたのでもありません。
そもそも、私が望んで得たものではありません。
ただただ、一方的に与えられた恵みだったのです。

この経験が私に教えてくれました。

悪から遠ざけ、罪を犯させない力が、この世界には確かにある。
それが、私がどのような人間で、何をして何を考えているかにはまったく関係なく、私に関わる全ての人を通じて、私に働いている。
そして、今、世界が悪と罪で壊れてしまっていないのは、彼らが私にしてくださったように、仕事に誠実であったり、人に丁寧で親身な接し方をしたり、明るく穏やかに生活し、そして、たとえ何もできなくても、家族や隣人の傍に寄り添う方々が、数えきれないほどいて、世界をその力で満たして、守っているからだ。

どうか、私が周りの方々から与えられたものを、私も周りの方々に返すことができますように。
そうして私が救われたように、私自身も、どこかの誰かに、罪を犯させず、悪から遠ざける力の一部になれたら、これほどうれしい事はありません。

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