名都美術館『福田豊四郎と堀文子』展・その5

福田豊四郎と堀文子の鳥について。

福田豊四郎の猛禽を書いた作品は二点。
『八幡平』『平原』。
『八幡平』の方は、まさにウサギを仕留めた瞬間。
草むらに突きこまれた太い脚の先は見えない。
断末魔の叫びをあげるウサギの頭だけが、葉の間から覗いている。
空気を叩きつけるように翻る羽根は、刀のような鉄の色で、見えない爪の鋭さと残酷さを暗示しているみたい。
なのに、画面の下三分の一は、日差しのように明るい黄色、拍手するような葉が、半分に届けとばかりにはじけていて、空は明るい青、ひたすらに長閑とも爽快とも感じられる風景。
だからこそ、見えないところに流れている血が、どれほど赤いか。
浅く斜めに画面を区切る水平線は、遠景の丘の稜線と薄いX字を描いて、それだけが不穏さを告げているようだけど、猛禽の閃くような姿に目を奪われて、画面に躍動感を与える効果ばかりに気を取られてしまう。
『平原』の方は、それとは逆に、微動だにしない姿。
太くたくましい足で、針山のごとき荒野を踏みしめている。ただ爪は、いつでも飛び立てるようにか、食い込ませる事なく浮き上がっている。
大きく描かれた足にくらべ、白い頭はギュっと引き締められたかのように小さくて、遥か彼方を睥睨する金色の目は針みたいに鋭い。
筋肉の塊のようなずっしりとした楕円形のフォルム。それにビッタリと張り付き、隙間なく覆っている鉄色の羽根は鎧としか見えない。
『八幡平』の猛禽とは全く違う種類の生き物だろうか?

この『平原』とほぼ同じ構図の、堀文子『白鷴』。
横向きにたたずむハッカンを描いている。
優雅で物静かな様子で、背景には桜の枝まで覗いていて、『平原』とは第一印象がまるで違い過ぎて、同じ構図である事にすら、遅くまで気が付かなかった。
頭から首、胸を通って足の付け根まで。真っ白な羽根と尾の、輪郭をたどるように黒い。
長い尾は、ふうわりと漂うように伸びていて、柔らかく体を巻いた羽も軽々としていて、明るい光そのもののよう。
歩みかけているのか、片足をふっと挙げているのが、なおさらかろやか。
背景は、桜の枝すら溶け込むような、屏風の雲のような金色の光。
描かれた時期も、ほぼ同じこの二作品、構図もモチーフも、言葉にしてしまえば同じようなものなのに、あまりに違い過ぎる。

その一方で堀文子の『春』は、風景の明るさや、爽やかな風の感覚が、福田豊四郎『八幡平』と呼応しているかのよう。
とはいえ『春』は『八幡平』より十五年近く後なので、『平原』と『白鷴』のペアと比較はできないものかしら。

比較というのなら、福田豊四郎も堀文子も、同じタイミングで同じ『軍鶏』を描いている。構図もポーズもモチーフも、ほぼ同じだけれど、まるで違う。
堀文子の『軍鶏』はまるでステンドグラスの天使みたいだ。
銅色の筋に、エメラルドやラピスラズリのモザイクをはめ込んだようで、非現実的なんだけれど、尾羽のバサッとした跳ね具合、グルリといくつも輪をまいたような太い足、弾丸のような爪、観察と描写の確かさによる存在感。
不思議なのは、本来は陰になっているはずの奥の足がむしろ光り輝いているような色の使い方。写真のネガフィルムみたいに、明暗が逆になっているのかな?
福田豊四郎の『軍鶏』はその逆で、例えば恐竜のような脚にあからさまだけど、本当に肉を感じさせるような描き方。
逆立った首の羽根も、べったりと貼りついた胴の羽根も、バサッと跳ねた尾羽も、青緑色が光を吸い取るように黒々としているのは、うっすらと脂に湿っているからだろうか?
脂に湿って艶々とした羽根なのに、光らないのは。よほど陽の光が弱いのか?
この軍鶏は、氷のように冷たい風の中にいるのか?

やはり、福田豊四郎は北国の画家なのか。

福田豊四郎と堀文子の抽象的な造形表現。

福田豊四郎『山脈(からす)』のカラスは、それこそマチスの切り紙みたいにフォルムに特化しているように見えました。
翼の先、尾の先、嘴、のびのびととんがった星の形が、踊るように跳ねる。手前のカラスは、赤い舌から目の下の溝、足の爪までしっかりと描きこまれていながら、遠景のカラスなどは折り紙みたいな形。
単純に、一羽一羽の動きに合わせて形をデフォルメするのではなくて、簡略化の度合いをコントロールして、空間表現につなげる。

ただ、『樹氷』や『濤』になってくると、様々な表現をすること、そのものに興味が移っているのか、かなり感性のままに形を躍らせているように見えました。

『濤』には昭和十三年と、昭和三十一年の二つの作品がある。昭和十三年のものは、デフォルメされているとはいえ、沖から渚まで、次第に波が白くなってくる描写がリアルで、空の雲も、下から日光に照らされているかのように、光っている部分と影になっている部分が半々で、輪郭が輝いている。非現実なのは、雲のこちら側にある北斗七星くらい。雲のこちら側にあるだけではなく、黒い星や、星と星を結ぶ線まで存在している。
昭和三十一年の作品では、立体感は確かにリアルにあるのだけれど、左右を覆い尽くすように散る波しぶきは、白い鳥か蝶の大群のよう。一つ一つは宙に浮いている水滴なのだろうけれど、見た事のない形。海面は海面で、波が空や陽射しを写しているのか、大きく穴の開いた幕を重ねたようで、言われなきゃ海と分からない。

『樹氷』は、樹氷の林を駆け抜ける鹿の群れを描いた大作と、その制作のために、樹氷のみを描いた作品がありました。
どちらも樹氷は幽霊のよう。
見ているうちに、不思議になってくるのは、さて樹氷とは個体なのか、液体なのか、気体なのか?
動いているものなのか、静止したものなのか。
もちろん凍っているから個体なんだけれど、風に流された水の形だ。静止しているけれど、それはある一瞬を切り取られた動き回る風の形だ。
鹿の群れの背景は、そんな樹氷だけではなく、空の雲も、白い大地も、鋭く駆け回る風が、一瞬に熱を奪われて固まった形。
空も大地も森すらも、熱と時間と動きを奪われた世界で、鹿たちはたくましく走る。それは力強いようでもあるけれど、背景と鹿の群れは、別々の世界であるようにも見える。
鹿の群れと背景のパースがあっていないというか、色味も、青みがかかった白い背景に比べて、鹿は緑色がかった黒。雪からの照り返しなのか、下あごから腹、さらに尾の方まで、鹿の輪郭の下半分は、黄色く光る。背景の、完全に色を失った月よりも、月のように見えるほど。

この鹿の群れは、樹氷の雪原に、ふと浮かび上がった幻影なのか。かつてここに生きていた鹿の群れを、樹氷たちが思い出しているのか?

この造形的な背景と、それに抗うような動物たちという作品は、二十年後の昭和三十年代の作品、『氷原』『流れと鹿』『野火・けもの』くり返し描かれる。
ただ、描き方がずいぶん変わっていて、『樹氷』や『濤』の柔らかな筆の使い方ではなく、彫るか刻むかのような描き方。色も、あいまいさを徹底的に廃して、赤い炎、白い氷、黒い土と、今にも前景の動物たちを食いつくしそうな激しい色だ。

昭和二十年代、戦争を挟んでどんな経験をしたのか、どんな光景を見たのか、なんとなく想像してしまう。

今回の展示では、社会・歴史・政治を具体的にテーマにした作品はなかったと言ってよいでしょう。

ただひとつ例外として、当時改めて発布された日本国憲法の本『あたらしい憲法のはなし』の挿画として作成された、堀文子『海辺で遊ぶ人々の肖像』が、それにあたるか。

それこそ、マチスの切り絵のように、多くの人が思い思いに海を楽しんでいる様子を描いているんだけれど、画面の下中央に、見る者に背中を向けて控えめにたたずんで、海で遊ぶ人々を眺めているのは、作者の堀文子本人を投影したものでだろうか?

堀文子にも、それこそ『紫の雨』みたいな造形主体の作品はあるけれど、この『海辺で遊ぶ……』ほどの抽象化がされる作品はなかった。
年齢を重ねていくほどに、実際の自然の事物の形態を尊重し、謙虚に写し取ることに努めるようになっていったように思われます。
『海辺で遊ぶ……』の仕事は、堀文子を抽象画家にすることはありませんでした。

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