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変身願望についてーです(o^^o)〈アトジェンダー

私はいっつも真剣です。ウソじゃないです。
【Q】カップ麺にお湯を注ぐ時も?
【A】多分そうです❗️

思考を展開していきたいと思います。『展開』とわざわざ書いてるのは、この時点では何も考えていないと思ってもらって結構です。


やはり『発端』は今の生活に不満を抱いているからでしょうか。例を並べるのはキリがないのでしませんが、当の本人は『既定路線』だと思っているのでは?

つまり、『この不満状態』が変わらず立ちはだかり続けると。そんな生活の中でも、24時間丸々『不満状態』なのでしょうか? いえ、おそらく『解放』される時間はきっとあると思います。24分の1だろうが120分の1だろうが……あるとします。じゃないと、きっと耐えられないです。

『不満状態』の最中では、『大きな目標』は立てられないと予想します。根拠は私の経験にあります。
どうせ、でも、だって……暗い言葉が頭にひっつき、ただ受け入れ、時間が過ぎるのを待つ生活の連続。
それでも些細なきっかけで、抜け出せる頼りないヒモを掴める人もいるかもしれませんが、大抵がそんなヒモ視界に入らないです。

次第に『こんな自分だから、こんな人生なのは仕方ない』と、更に暗く。
人によっては、『原因』に対する殺意でも抱くかもしれませんが、実行に移すには法律という壁があり、容易には、とても。
ここまで書いて、私はとても浅い事を書いているのではないか? と感じてきましたが、無視します。


私自身にも『変身願望』があります。それを実行する事も、打ち明ける事も、今後しないでしょうが。

でも、少し書きます。

私は昔から『一人称』に違和感を持っていました。ただ『変更のタイミング』を逃した程度に思っていたのですが、決めつけは撤去します。
大抵の人は『社会常識や風潮』に従順です。女性が家を守り、男性は外(主に都会)で働く。しかしこれは伝統でも歴史でもなく、高度経済成長期が作り出した『型』にすぎません。つまり最近の話なのです。
尚且つ、広い視点で見ればやはり『歴史』でもあります(どっち⁉️)

知っての通り、かつての『当たり前』はどんどん変わっています。広告業界は男性が料理をするコマーシャルをくどい程流し、女性は家でくつろいでいる描写などが増えました。性による社会的役割の瓦解です。まあ、あからさまな逆転とも言えますが。
しかし、無理矢理にでもしないと変わらない――の裏返しかもしれません。

このような社会になったおかげで、私の『一人称』に対する疑問が湧いたわけです。
男性脳と女性脳に殆ど違いはないと言う研究者も居ます。だとしたら、思考、行動の違いは『社会の風潮』が律儀に築き上げたモノだと仮定できます。
『男も度胸と愛嬌。女も度胸と愛嬌!』みたいな時代ですかね。

『男/女』という言葉のせいでこんな事になっていたのかもしれません。人間は『命名』が大好きですから。
母性、父性、自身、他者……人は長い歴史の中で、最初からありもしないモノに名前をつけたのでは――


意志に関わらず起こる様々

これは詩に関する本に書いてあったのですが、男性と女性の詩の視点の違いについてです。

男性は『自分』の輪郭がはっきりしており、『他者』との区別もきちんとなされている。
対して女性は、どこか朧げな、他者すら自分とみなすような曖昧性を含んでいるとか。

これは見出しのように、女性にとって意志に関わらず起きる現象に起因していると。
卵子を宿し生まれ、初潮、生理……どれも意志の力で止められません。これが『どうしようもなさ』を刷り込み、妊娠や出産で更に『身体が自分の所有物』という感覚から離れていきます。

私は書かれている事が、胸にべったりとこびり付いたように離れませんでした。
私も、確かなる『私』が、何の疑いもなく『身体』を動かしている感覚ではないのです。複数の精神……他者が宿った複合体。いくら念じても、これらを『ひとつ』に戻すことができません。
複数の精神的他者が、『今までっぽい私を演じている』とも表現できますかね。

私は今も、『自分とは何か』という質問に答えを出せていません。又、答えを出したからなんなのか――とも思っています。
そうですね、『ただ、変わりゆくモノ』と、仮の答えでも記念に書いておきましょう。

正直、一昔前の【みなひとりひとり違って、それぞれが素敵な美しい花なんだ🌼】みたいなコピーは、鼻で笑うレベルです。そのユニークな花とて、いずれ色も形も何もかも変わってしまうというのに。個性の尊重でなく、変化の尊重を望みますね私は。

『変化を慈しむ』となると、仏教や哲学の領域に踏み込みそうなので今回はやめます。

さて、私の『一人称』に対する疑問ですが、はたしてこれは『なんとなくタイミングを逃し恥ずかしかった』のか、『性自認が許容』される社会になったからこその、一過性のモノなのか。

今は全て、胸にとどめておきます。

ただ私は、この心に付着したカサブタを少しずつ剥がし、顔をしかめるしかできません。

これまでも、そうでした。

これからも、そうします。

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