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おみゅりこ。詩を語る2

昨日noteの誰かのエッセイを見た。
詩人の『真実』について書いてあった気がする。ああ、これが私のスタイルだよ❓
昨日見たモノは既に私の内臓に取り込まれグチャグチャになっている。血は言語か? いいや、色と成分だ。

てな次第で正確な引用はできないし、する気もない。しかしその『文字列』から抽出されたエッセンスは血肉となり、身体の中を駆け巡る。愉快だよ。

で、エッセイに書かれてたのはこんな感じだ。
よく考えたら今日見たのかもしれない。

詩人にとって、もう全部が真実だ

みたいな

詩人になる『資格』なんて大袈裟な事は口が裂けても言わないが、性格の傾向の類似性はある気がする。
あ、ありました。この記事です↓

なんかさー、みんな小さい頃やったかな?
『ちいちゃんのかげおくり』
私も夏の日差しの校庭でよくやってた。はやく投射された自分の影を見たくて、失敗してたっけ。

『あの影』は確かにそこにある。
 やがて消える。
  決して明日まで残らない。

詩を書くってあんな感じだ。


私自身、夫婦の話し合いでたびたび
『矛盾してる』
『この間と違う』
などと言われる。
ああ、バンバン矛盾するよ❓

だって矛盾に気を払いながら、積み上げるように思考を重ねていたらどうなるか……窮屈さぁ。
なんつーかね、『心がその日暮らし』みたいな。

今❗️ この瞬間に❗️ 激烈な光を❗️
……みたいな。
頼む❗️ 残ってくれ❗️ この感覚❗️
……みたいな。

『今』に恋焦がれてるけど
本当は『次』も好きだけど
忘れっぽいから『今』を記録して
『次』である『今』に移行したい❗️
……みたいな。

もうアレだ! 写真と一緒!
だからクドクド言葉を並べる必要なかったのですね。
写真機が未来も過去も写せないように
詩だって『今』しか表せない。

そんな当たり前を、私はゆったのでした。



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