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なんとなくは分かっていたが、想像を超えていたこと


2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。
そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。

声を取り戻した次女の口から出てきた言葉

突然堰を切ったように言葉が出てきた娘が語ったことは、生きていることへの辛さ、生まれてきたことへの恨み、憎しみ、自己嫌悪、自己否定、などなど、しばらく止まることがなかったです。

彼女が病んだ理由がだんだん理解できてきました

病んだ理由

人間関係にかなり問題があったこと
その上職場では仕事がうまくできないことも多かったらしい、それもあってだろう結構指導が厳しく、聞いてる限りではパワハラっぽく言葉も荒い言い方をされていたらしい。そんな風に言われたら、私も病むだろうと思うほど。
自尊心はボロボロで自分を言われるがまま責めてしまっていただろう。それを思うだけで胸が締め付けられました。

そんなところへ、コロナワクチン接種を半ば強制的にさせられたのが極め付けだったようです
強制的にとは言っても接種する、しない は本人が決めることです。署名をした上での接種です。が、職場では接種しないと辞めなくてはならない状況だったので、(これはあくまで彼女の主観的な表現なので実際職場でどういった説明があったかは定かでありませんが、彼女の中ではそういった解釈をしたので接種を受けたそうです)
そして接種後の高熱で このうつ状態になったのかと想像ました。

彼女の生きづらさは、想像を超えていた

もともと苦手なことも多く頑固なところがあり、変に几帳面なところもあったので、周りの人から厳しくあたられることなど なんとなくは想像はできます。
私が以前勤めていた職場でも若い子で、周りがアドバイスしても納得いかないようで自分のやり方でしかやらなく、同じようなミスを繰り返し、周りから呆れられたり心配されてるような子がいました。
当時はまだ高校生だった自分の娘が重なってみえることが多々あり、娘が社会へ出てうまくやっていけるのか心配になることもありました。

職場での娘の厳しい状況には 本人の態度にも問題があったのでは?ということも頭に浮かびますが、娘が辛い思いをしていたことは事実で、彼女の心情を思うと苦かったです。
そんな私の苦しみの何十倍と彼女は苦しんでいたのだと思います。

心配はしていたけれど自分で乗り越えていけるだろうと根拠もない思いもありました。いや、根拠はありました。それは”私自身が乗り越えてきたので彼女も大丈夫”という自分基準の思いでした。

どうても自分の経験が基準になってしまうもの

この自分基準での子どもとの向き合い方が、彼女を苦しめていたのだということをこの状態になって初めて知りました。

私との関わりも、周りの人同様 彼女にとってはあまり心地よいものではなく、お互い理解し難い存在だったのです。

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