見出し画像

ソングライティング・ワークブック 第73週:伴奏で性格を表す—ピアノを使って(12)

伴奏で性格を表す—ピアノを使って(4)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(5)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(6)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(7)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(8)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(9)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(10)/伴奏で性格を表す—ピアノを使って(11)

ソングライティング・ワークブック目次へ

ココロとカラダ

以前に書いたアウトラインを見て、どこまで進んだか確かめる

ここまでのテキストを書き出してみると、結構長尺になっている。

ガリガリ ガリガリ ガリガリ
チャリに跨り暗(くらがり)峠の昼下がり
楽々登れた人などいない坂道
クラクラ クラクラ クラクラ クラクラ
蝉の声が頭に響いて 蝉の声が頭に響いて
眩暈がする
苦しいのになぜ登る?
頂上に辿り着きたいから?
登るという行動そのものが好きだから?
結果か、過程か? 結果か、過程か? 結果か、過程か?
ケッカカカテイカ ケッカカカテイカ ケッカカカテイカ ケッカカカテイカ
暑い!
何も考えたくない
考えられない
なのに思い出す
ありおりはべりいまそかり ありおりはべりいまそかり ありおりはべりいまそかり ありおりはべりいまそかり ありおりはべりいまそかり ありおりはべりいまそかり もう無理
ああ
軽そうなバイクが私を追い抜いてゆく
コルナゴ ピナレロ オルベア キャニオン スペシャライズド ジャイアント メリダ ああ嫌だ
なんでロゴばかり見てるんだろうか?

ここで、最初の案(アウトライン)を読んで比べてみる

ガリガリ
チャリに跨り
暗(くらがり)峠の昼下がり
楽々登れた人などいない坂道
蝉の声が頭に響いて
クラクラ
眩暈がする
目の前真っ暗になりそうになったら
足を着けばいい

健全なカラダに健全なココロが宿るとは
信じてないけど
登りたいから登る
トレーニングではなく
ただ登る
登っている間は
何も考えなくて済む
何も考えなくても済むはずなのに
不必要に
いろいろなことを思い出す
たとえば古文の授業
ありおりはべりいまそかり
もう無理

焦らない 焦らない
軽いコルナゴに抜かれても平気な子
比べない 比べない
よりよく生きるための文法
競走に弱く
砂利道に強い
グラベルロードの文法
グラベないグラベますグラベるときグラベればグラベろ

暗峠に辿り着いたら
箱いっぱいのミカン
転がしてみる
ココロ コロコロ コロコロ
ちょっとだけ loco
言うだけ損 mi corazón
ココロとカラダ
コロカラコロン
ここからだ
ロココのコロラトゥーラ

後者で言っていることから前者で言っていることを引くと、言うべきことの残りは以下の2つだろう;

  • 「焦らない、比べない、疲れたら足を着けばいい」と自分に言い聞かせる。

  • 峠に着いたら箱いっぱいのミカンを転がすという夢想。

アウトラインを踏まえつつ、思いついたことをメモする

ここでサッと思いついたこと;

健全な体に健全な精神が宿るとは信じられない。何歳になっても、心と体は互いにいつもしっくりこない。危うさ。でも登る。
逞しい大殿筋が次々と目の前を通り過ぎるのを見送る。
Stravaについて考えてみることを思いついた。Stravaは私が何を考えているか、知らない。心拍数は知っている。Stravaが知っていること。私のたどった道。私の時間。私の心拍数。私の脚の回転数。私の出力。私の体の健全さ。私を監視する。そして私は私自身をStravaの視線で見るようになる。Stravaは競争させる。

どうやらこの作品はココロとカラダの齟齬について何かを言おうとしているということになりそうだ。歩くこともできない乳児のころから第二次性徴、更年期、老年期、と、いくつになってもココロとカラダはしっくりこない。ココロはカラダを叱咤し、カラダはココロを叱咤する。お前はそんなだからダメなんだと。鍛えようが鍛えまいが、逆にココロとカラダに悪いこと(アルコール、喫煙、クスリ...)をやろうが、溝は埋まらない。

社会というものがそこに加わる。というか、社会は私のココロとカラダを形作る。ココロとカラダの溝を何とかしようという「私」というものも、社会によって形作られる。それ自体には良いも悪いもない。これ以上は話が大きくなり過ぎて私の手には負えないけれど。

その昔、「幸せな身体」なるものがあると考えていた。脱力すればそういうものが手に入るのかなと思っていた。今でも体を脱力させることだけは得意だけれど、あの頃の私は何か勘違いしてたみたいだ。

Strava(監視資本主義?まあね...)

Stravaというアプリを知っているだろうか?多くのランナーやサイクリストが使っていると思う。走った道(地図上の)、距離、速さ、標高、心拍数、ケイデンス(ペダルの回転数)、出力などを記録し、他人とシェアすることができるトレーニングアプリだ。サイクリングコンピュータや心拍計やパワーメーターやスマートウォッチやスマートフォンといったガジェットと連携させて使う。道、距離、速さ、標高を記録するだけならこのアプリだけで働く。また、ナビとして使うこともできる。

ある特定の区間を他人がどれぐらいの速さで走ったかというようなこともわかる。Stravaで自分の記録を公開している人がいる限り、機能する。有名なヒルクライムの場所、例えば筑波山の傍にある不動峠の入り口から峠までの距離3.77km獲得標高265mを、Strava上で公開している人のうちでどれぐらいの人数が10分以内に登っているか、その人たちの平均出力がどれぐらいで、平均心拍数がどれぐらいか、ということもわかる(何を公開するかは選べる)。そんな人たちと比較して、自分が速度で何位にいるかもわかる。

そんなStravaだけど、「実力」とやらを正確に反映しているわけではない。たとえば、その時その場所の風力は一応記録されるが、実際にその場で風力計で測られたものではない(自転車は風の影響を非常に受ける)し、それが出力の計算に反映されているわけではない(パワーメーターは自分が踏み込んだ力を測るので、それを付ければいいけれど、高価だ)。Strava使っている人の多くは、Stravaの記録はまあ話半分で受け取る、という感じじゃないかな?

さて、このStravaのモチーフを実際にテキストで使うかどうか、まだ決めていない。辿ってみて使えそうなら使う。ただ、カラダについてもっと具体的な言葉を使ってみようかとは思っていて、続きはそこから始めることになる。

上昇する音のモチーフに一度帰って少し展開する

先週の「何でロゴばかり見てるんだろうか?」からピアノで上昇のモチーフを少し展開した後、「大殿筋大殿筋...」と繰り返すのも面白いか。

この流れだと、「大殿筋」の繰り返しは小声で言うことになるだろう。譜面を読む演奏者に演奏を頼む場合には、「p(ピアノ)」の指示を譜面に書き込むことになるだろう。

その後は、言葉だけで伴奏が無い部分もあってよい。楽器だけで声が無い部分はすで書いたのだから、その逆もありだ。この続きは単刀直入でいいか...

焦らない 比べない
疲れたら足を着けばいい。

この部分を楽器なしで声で読むだけにすると、音楽の流れも休憩していることになるだろう。

おまけ

語りと歌。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?