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ソングライティング・ワークブック 第68週:伴奏で性格を表す—ピアノを使って(7)

伴奏で性格を表す—ピアノを使って(4)

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伴奏で性格を表す—ピアノを使って(6)

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どんな上昇か?

倦怠、疲れ、力、努力、忍耐、シジフォス...

ピアノスケッチの始まり―断片を書きつける。あるムードが具体的になったらそれを続けてアイデアを出してみる。ちょっとBartokとモードジャズが混ざったような感じになっている。何かの理論によるのでなく、基本的に「趣味」で選ばれた音だ。この場合、あまり「よい響きを作ってやろう」と頑張りすぎないことが仕事を進めていくコツなのかもしれない。

スケッチをしながら大体の予測をする。前半の上昇(ヒルクライムのように頑張って登る)と後半の下降(転がり落ちる)とは別々の曲になる可能性もある。2曲で一組といったように。

前半は朗読やラップのようなものにする。歌う部分を少し入れてピアノと関連付ける。言葉をたくさん書かなければいけない。ラップと言っても、たとえばAbd Al Malikのように朗読に近いものもある;

最初に帰ってリズムと心拍のアイデアを発展させる。言葉のリズムをより具体的に考える。

言葉のブレインストーミング

言葉の材料を集めなければいけない。まずは脈絡もないままに「自動筆記」する。こういうのは時間をかけずに一気にやる。

シジフォスは何の罰で岩を運び続ける羽目になったんだっけ?登っては落ち、登っては落ち。そういえば「かにむかし」にそんなフレーズあったな。がちゃがちゃと。カミュの「シジフォス」は読んだことないな。誰かがほめてるのを読んだことはあるけれど。砂山を高くするためには一度てっぺんをならして平らにしなければいけなかった。『ヨブ記』を読むまでもなく、神は理不尽だ。一神教って、じつは無神論に近いのかもしれない。すべての山に昇れ。暗峠にも昇れ。クロスバイクでもヤビツ峠大丈夫かな?私たちが互いに入れ替われば、互いをよりよく理解できるのに。そのためには悪魔じゃなくて神と取引できればいいのに、そのためにはどんな道でも丘でも建物でも駆け上がってみせるのに。Kate Bushはそう歌った。先週はそこまでで思考がストップした。でも今書いてる歌は、他人と理解し合いたいとか、人間関係についての歌だったかな?もともとは高いところに昇って箱いっぱいのミカンを転がすという、転がして高笑いするという、何かはじけたいような気持についてではなかったか。坂道をオレンジか何かが転がるというのは映画で見たか。2011年のoccupyなどについて、じゃなかった、indignadosについての映画。人々よ、怒りなさい。誰だっけ、ジプシーの映画とか作ってた人の。街を落書きで埋め尽くそう。政治的?そうだろうか?選挙で世の中変わるなら選挙はとっくに違法になってる。アナーキストの決まり文句。2011年から何か世の中変わったか?アラブの春の顛末は?エジプトはどうなった?やはり人々とか群衆についての歌になるのだろうか?それとも幻滅について?いろいろ嫌になったから山に?草枕かよ。それともThe Fool on the Hill?The Beatlesの中では好きな歌のひとつだ。ぼく自身はそれほど世の中嫌になってないけれど。蟻の行列はとんでもなく高いところまで登る。個体の大きさのことを考慮に入れれば。

自動筆記

何もかも嫌になって山に。ほんとはそんな気分ではないんだ。別に嫌になったわけじゃない。いい空気が吸いたいだけ。自慢のグラベルロード。それでちょっと荒れた道も試してみる。自慢のグラベルロード。2.1インチのタイヤ。盆地から平野に抜ける峠道。盆地の夏はとんでもなく暑い。まだ6月なのに入道雲。ヒルクライムなんてマゾじゃないの?せめてもっと軽いバイクにしとけばよかったな。アルミのフレーム。11キロ。時間を競うわけではないからそれでいい。疲れたら足を付いて休めばいい。フラットペダルにスニーカー。あっという間にコルナゴに抜かれた。

前の自動筆記を下敷きによりテーマを絞った、それでも自動筆記に近いスケッチ

どうやら自転車についての曲になるようだ。でも「人々」とか「群衆」とかは?

峠に着いたら
人々に向けて
愛を叫ぶのかい?

「人々」を考えてふと思いついた言葉

Personal is political. 

音のスケッチに戻る

先に書いたものを聴きなおして、今書いた言葉と「響き合う」かどうか聴いてみる。音書いたときは自転車よりシジフォスのことが頭にあったので、それほど響き合う感じではない。

シジフォスが罰を受けたわけ、それからカミュ(Camus)は

Wikipediaでちょっと調べてみる。シジフォスはある見方をすれば賢く、またある見方をすればずるい王だった。神を欺いたことで罰を受けた。カミュのエッセイは、永遠の徒労を繰り返すシジフォスは実は幸せなのでは?という見方を提案するものらしい。辿り着けなくても高みを目指す行為そのものがシジフォスの心を充実させるのだから、というもの。ちゃんと読んでみるか。

当分このテーマでまだ続ける。とくに締め切りがある仕事ではないので、がちゃがちゃがちゃと登っては落ち、を楽しんでもいいだろう。


 


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