現代社会でありうる3つの生き方!多様性の本質は割り切り
価値観が多様化する現代において、我々はどう生きるべきか?
前にも何度も書いたが、善悪基準は「空間(我々の範囲)」と「時間軸」で決まる。その2つの変数が変われば、価値基準は変わってしまう。
自分一人幸せであればいい人と、世界全体の幸福を考える人ではコミットするものが異なる。さらに、ここ10年だけを見るか、死んだ後の数百年を考えるかでも、変わってくる。
さて、そういう時代において、我々はどうするべきか?
自分の感性で、いいなと思う時間、空間の値を意識化することが重要だろう。
俳句が好きなら、そっちに振り切ればいい。昆虫が好きならそればかりやればいい。
多様性とは、そういう突き抜けの集まりだ。
では、社会制度はどうあるべきか?
それは、自由の相互承認のプラットフォームであるべき。
つまり、どんな時間軸や、われわれ意識でも認める、その代わり、他人の価値観を否定しない、ということだ。
数字だとわかりやすい。私は10年先までしかコミットしません。私は1000年先までコミットします!というのはどっちも許す。でも、そこで争うことは禁じる。
もちろん、自分たちの優位性を語るのは問題ないが、他の価値観を否定することはだめ。というか、それは初期設定(時間と空間)が異なるのだから、根本的に別次元の話なのだ。
こうして、自由を尊重し、尊重しない者を排除していくのがプラットフォームとしての社会。
さて、
われわれ一個人はどう生きるべきか?
特に何かに傾倒できないサラリーパーソン気質の人は、このプラットフォームの構築に向かうことになるだろう。
そして、何かに熱を持っているものは2つに分かれる。
その山のトップやトップ層として、自分たちがコミットする我々意識と時間軸を形にしていく。もう一つは、そうした山々のどこかに共感するフォロワーたちだ。このフォロワーにすらならない熱のない人間が最初にいったプラットフォーム作りの労働者。
重要なことは、確固たる正解はない。
むしろ、確固たる正解を求めるのであれば、プラットフォーム作りというありきたりな活動にコミットするしかない。
あなたは、どう生きるか?
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