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真実の宴。

/ライオン

高校2年生の"夏のある日"、私の価値観が変わりはじめた。

きっかけとなったのはある男。
その男は数学の教師として、私が通う高校に臨時で赴任してきた。

細身で凛とした背格好と男性にしては長めの髪。目にかかるくらいのその栗色の毛は、太陽に照らされるとまるでライオンの鬣のように淡い金色に輝く。

道ですれ違ったら思わず振り返りたくなるような容姿。その容姿に相応しい瞳の黒は深く力強く、高校生には出せない魅力で生徒を圧倒した。静かに忍び寄るライオンのように。深淵を語る、老人のように。

赴任してきた数学教師は「深谷 陣」といった。2年生と一部3年生の授業を受け持つことになるらしい。

数学教師の成田先生が体調を崩して胃の検査をしたところ、しばらく療養生活を送ることになったため、その臨時職員というわけだ。人柄の良い成田先生は生徒からも人気があった。数学以外でも悩みがあれば真摯に向き合ってくれ、生徒のおちゃらけた話題にも「ガッハッハッ!」と笑いながら乗ってきてくれる。

生徒の大部分は、そんな成田先生の臨時職員である深谷先生を快く思わないのではないだろうか。

私は生徒の身でありながら、そんなことを考える。もっとも、その懸念は使い終わったティッシュをゴミ箱へ投げるように、どこかへ放り投げてしまったのだが。

「”深谷 陣”と言います。成田先生の代わりにしばらく、というか
夏休みに入る前までという短い期間ですが、皆さんどうぞよろしく。
すぐに成田先生の代わりが務まるとは思えないですが、大丈夫。
彼が戻るまで、君たちに向き合うことを約束します。お手柔らかに」

うだるような暑さの中、深谷先生はニカッっと笑う。その言葉には、たまの休みに家族サービスを強いられるどこかの父親のような気だるさはなく、いつでも私に向き合って、私のことを1番に考えてくれる母のような優しさと厳しさが混じっていた。

どこまでも、私たちの心の闇を写し出し見せてくれる。深い谷底を覗き込んだ時のような眼差しを向けながら。

「よろしくー」

教室のどこかから女子が言った。その”よろしくー”を引き金に、私を除くクラス全員が笑いながら「よろしくお願いしまーす」と言う。

教室まで深谷先生を連れてきた担任の先生も、微笑し安堵の顔を浮かべていた。

夏の強い日差しを遮っていたカーテンレースがひらりと揺れる。

梅雨明けの新鮮な風が、ブワッっと教室を吹き抜けて、私は思わず目をつむる。瞼の裏の毛細血管が鮮明に見え、ギョッとし目を開けた。眩しさのなか目を凝らす。深谷先生と目が合いゾッとする。

ライオンが、いた。

/価値観

私には、私の世界しか見えていなかった。

その心は決して綺麗なものではなく、流れを失った泥のようで、ただただそこに停滞する移り変わりのない世界だった。

外から流れ着くものを拒み、内側で手に入れたものは決して手放さない。
だから、私の世界にはいつも泥が溜まっていた。

いつしか流れの生み方も忘れて、後はただ、乾くのを待つばかり。

引っ越しの準備をしている最中だった。テレビではアメリカのカリフォルニア州デスヴァレーにある”動く石”の謎が解明されたと報じられていたことを覚えている。

母との会話がきっかけで、私は価値観について考えた。

価値観などというものについて考えたことはそれまでになかったけれど、考えることになってしまったのだから仕方がない。

河川敷の原っぱに座り込み、私はただ、考えた。

美しい月に瞳を溺れさせながら。

夜通し聴いていても飽きない虫たちの音楽とせせらぎに耳を傾けながら。

「それ、いるの?」

母が引っ越し先に持っていこうと手にしている手紙について私は尋ねた。いくつもある様々な柄をした古い紙の洋封筒は、中の古く褪せた色をしているであろう手紙を守っている。それらは麻の紐で大切に纏められていた。

「どうなんだろう。生きていくのに必要か、そうではないかで言えば、多分これは必要ではないんだと思う」

「じゃあ、なんで?なんで捨てずに持っていくの?折角の捨てる機会なのに」

「なんでだろうね。生きていくための根本的に必要なものの中に、多分これは入らない。でも、生きていくって色々あるからね。生命維持には必要ではないかもしれないけれど、母さんが1人の人間として生きていくために。いつかどこかで必要なんだと思う」

持っていっちゃダメかな?母がそう言ったので、私はそういうわけではないと答えた。ただ、理由が知りたかっただけなのだ、と。そう言って夜風を浴びに河川敷に出てきた。

私に父親という存在はない。母と私と妹の3人暮らしだ。

私が小学校低学年のころに父は蒸発した。音もなく、空に消えていった。
薬缶から出る水蒸気からは音がするのに、人間が蒸発するときには音もない。周囲が噂する、父親が蒸発したという陰口に私の心は疑心で塗りたくられた。

先週まで共に下校し夢を語った友だと思っていた人の形をした悪魔。ついこの間まで、私の母と仲良さそうに世間話をしていた鳴り止まないスピーカーを口に備えた臆病で目立ちたがりの人体模型。

彼らは心なしに、考えなしに噂する。有る事無い事に追い風が吹き、事実の原型はもう見えない。

人を人として認識できなくなったとき、疑心で塗りたくられた私の心はもう、人の心ではなくなった。

私たち家族の父親が蒸発した。それは事実だ。父親が蒸発した経緯や原因を彼らの想像で噂されたからといって、なぜ傷つかなければならないのだ。

事実は事実なのだ。価値のあるものと無いものを人は分ける。それと同様に事実と噂は切り離して聞いておけばいい。だれが何と言おうと父親は蒸発したのだし、母は浮気なんてしていない。多額の借金も、私たちにはない。

感情的になってはいけない。事実を事実として受け入れるだけで、私の人のものではないこの心もせめて、壊されずには済むのだから。

そんな事を繰り返すうちに、いつしか目の前の事実を事実として見ることしかできなくなっていた。真実や想いに目を向ける、そんな当たり前のことが私はできなくなっていた。

だからこそ母に聞いたのだ。古く、褪せた色の手紙がなぜ必要なのかと。

古く汚れた紙と古く褪せた色をした手紙。紙としての価値はさほど変わらないだろう。いや、古く汚れた紙の方がもしかしたら役に立つのかもしれない。手紙には文字がすでに書かれ、これ以上新しい情報をとどめることができないが、古く汚れた紙ならば新しい文字を書くことに望みはある。

それなのに古い紙はゴミ袋に投げ入れて、古く褪せた色をした手紙は引っ越し先に持っていく。どちらが正しいのか、答えは分からない。

私の心、という理解する装置が壊れているのかもしれない。渇きに渇き、潤滑油のようなものがなくなり、キィキィと軋んだ音がする。

私はそう考えたし、実際そのような気もした。が、瞳を溺れさせた月でさえ私の心を濡らすことも叶わないことも知っていた。

/1+1=2

ライオンが、いた。

教壇に立ち、黒板という名の深い緑の板にシューッ,シュッっと白色のチョークで己が導く道を残す。数学は好きだ。事実を受け入れていけば必ず答えが見つかる。

私は何度か 深谷 先生に諭されたことがある。どの教えも、私が人の価値観を踏みにじるような言動や態度がきっかけで始まった。

机に肘をつきながら先生の後姿を眺める。何度か諭された中で、特に印象的だったあの記憶を遡っていた。

それは数学の授業中に男子生徒の1人が放った一言が、私の中の撃鉄を下ろし、私が見事に引き金を引いたことで始まった。

「先生、こんな無駄でくだらない問題ばかり解いて将来なんの役に立つんですか~?まずそこを教えてもらわないとやる気が出ませーん」

問いに向き合うこともせず、ただただ無駄でくだらないと切り捨てた彼に対して、私は言った。

「こんなこともできないヤツが将来何の役に立つっていうんだよ」と。

クラス全員がハハッと笑い「たしかにー」という声も多く聞こえた。

「はあぁッ?」

教室が笑いに包まれている中、笑われた本人はそうはいかなかった。

怒気を含んだその声に空気が震えるような気がしたが、すぐに虚勢だと気づき同じ言葉を言い放つ。私は心の中で何かが震えるのを感じたが、それが何なのかは分からなかった。

「こんなこともできないヤツが将来何の役に立つっていうんだよ!!」

「この間から、なんなんだよお前ッ!」

ガタリと席を立ち声を張り上げる。その声には羞恥と理解、苛立ちが甘くないホイップクリームのように魅力なく混じっていた。

「ちょっと、いいかな? 2人とも落ち着いて話をしよう」

焦ったり怒ったりする様子もなく、深谷先生が言った。

これ以上話すことも立ち向かっていく気もなかったので、席に着く。席に着いて気づく。”私も”席を立っていたのだ、と。

私にも何かを感じたり、感情のままに立ち向かって行こうとする”心の力”がまだあるのだと。瞼の裏の毛細血管を見てギョッとした時のように”生”を見せつけられる。体が火照りドクドクと動く心臓の音を体で感じギュッと拳を握り締めた。鼓動のボリュームが握り締めた拳によって上がっていく気がした。

相手も席に着くと、深谷先生が「そうだなぁ」と切り出した。

「2人とも間違っていないんだよ。こんなこと社会に出てから何の役に立つのかなんて誰にも断言できないし、こんなこともできないヤツが社会に出て役に立てる保証もない。物事には色んな見方があるからね」

まぁ、数学に限らずできることで損はないけど。ニカッっと笑いながら先生は続ける。

「1+1=2 って皆知ってるよね?」

握り締めた拳をほどきながら、知らない者など高校生にいないのではないか、と私は思う。

「1+1=2 そんなこと小学生でも分かることだ。だけどね。実は1+1=2とは限らないんだよ」

どういうことだと、そんな簡単な計算もできない人間が数学の教師なのかと私は思う。いや、私に限らずあの時あの場にいたクラス全員がそう思ったはずだ。

そんなことはお構いなしに彼は続ける。

「想像してみて欲しい。1杯の水がテーブルの上にある。そこにもう1杯水を運んできたら、テーブルに用意した水は何杯あるか?数字だけで見れば、1+1=2の完成だ。いつも通りの問題。だけど違う、答えは無数にあるんだ。例えばそこに2杯分入る大きなコップを持ってきて、用意した2杯の水を合わせたら”1杯”になる。1+1をしたはずなのに答えは”1”なんだ。
数字なんてその時その瞬間の事実。1つのモノの見方に過ぎないんだよ。
空になったコップを床に叩きつけて割って無数の破片にすることもできるし、その破片を集めて熱を加え、また新しい1つのコップを作ることもできる。問題がリンゴになったって同じだ。2人が1個ずつ持ち寄っただけなら答えは2個。だけどそのリンゴを使って3瓶のジャムを作ることだってできるし、それぞれ8等分に切って16個にすることだってできる」

答えは無数にあるんだ。

空気がシンッとした。それは寂しさや寒さを表すものではなく、静けさのなか心の底から何かが湧き上がるような前兆を感じるものだった。その言葉に、理に、力強さに。きっと心が養分として受け入れたのだ。

「こんな無駄でくだらない問題が何の役に立つか?
君はただ恰好つけて言っただけかもしれない。でも周囲の邪魔はしてはダメだよ。それでは君は嫌がられる存在になってしまう。
本当に何の役に立つのかと思っただけなのかもしれない。けれど、答えはすぐには分からない。ここでこんな無駄でくだらないと投げ捨てた問題を解かなかったことで、その他のことに目を向けて”真剣”になれる君がいるかも知れないし、あの時あの問題に向き合っていればと”後悔”する君もいるかも知れない」

先生はそんな言葉を相手の男子生徒に送っていた。それに続いて私への言葉もあった。

「君もだ。たしかに、そんなこともできないようなヤツが将来何の役に立つと言われればそれまでだ。でも1+1=2のように物事には色んな見方や解き方がある。君の、その相手を踏みにじるような発言はどうなのか。よく考えるべきではないのかな?価値観は人によって違うものだ。数学に価値があると思える者もいれば、そうではない者もいる」

それを数学教師が言ってよいものなのかと私は疑問に思う。
相手を罵るように発言してしまった私にも、私なりの数学に対する価値観があったはずなのだ。いや、数学に関わらず、生徒が『こんな無駄でくだらない問題ばかり解いて将来なんの役に立つ』と嘆いたことに対して、人の価値観だとは。

そうは思いもしたが、先生はあとに「数学に価値がないと思われるのは、少し残念ではあるけどね」と言った。そのことで彼が私情ではなく”教え”として私たちに何かを諭しているのだと理解した。

そして私にはこの時の価値観という言葉がひどく印象的で、じわりと私の中に入り込み、私の中の何かが動いたことを感じたのもまた事実だった。

ゆっくりではある。けれどそれは確実に私の中の何かを動かしていく。
まるで、テレビで見たデスヴァレーのあの”動く石”のように。一人でに、僅かでも確実に、私の中の何かが動いた。

黒板にチョークで何かを書く、あの心地のよい音が耳を触る。
なぜ諭されている最中にこの音がするのだろうと私は思う。

ね?君にとっての数学の価値が分かっただろう?

肩を叩かれ目を覚ます。

ライオンが、微笑んでいた。

/生命線

帰宅すると母はいなかった。

引っ越し前の家とは寂しいもので、何もかもが茶色の段ボール箱に入れられて、後には埃が残っているだけだった。

そんな中だから、リビングの机に置かれたあの手紙にやたらと目がいってしまう。

あれから母はこの手紙を持っていくとも、捨てるとも言わず机に置いたまま他の荷物の整理をしていた。

私自身、母と喧嘩したつもりはないのだが、母にどうするのか聞きづらく、また、なんと言えば良いのかも分からずに今日まで来てしまった。

この家で眠るのも今日が最後。

明日には引っ越し業者が家に来て、荷物を全て持ち去ってしまう。
泥棒が家に入った時と何が違うのだろうか。もちろん、泥棒は新しい家に荷物を運び入れてはくれないのだから、その違いは明らかなのだが。

長い年月の間、私たちを守ってくれていたこの家からすれば、どちらも大して変わりはないのだろう。

お金を払わずに持ち去ってくれる分、幾分か泥棒の方がマシなのではないだろうか。家はそう考えているに違いない。

深夜、眠れずにカーテンを開ける。開いていた窓からは、夏らしく水分を含んだ風が流れ込む。しっとりと汗をかいた肌に風があたり心地が良い。

網戸を開け窓から顔を出す。悠々と流れる大きな雲のスキマから、姿を覗かせては隠れる月がいた。

喉の渇きを思い出し、キッチンへ向かう。薄暗い中コップを手に取り水道水を注ぎ込んだ。”1”の完成だ。私は完成した1を”私という1”に流し込み1+1=1を実感する。

深谷先生のあの授業から幾夜も考えた。私の脳にこびりついて剥がれなかったのだ。ならば、と思い考えた。

人によって、価値を見出すものが違うこと。

人によってモノの見方が違うこと。答えは一つではないこと。

色んな考え方があること。

母には母の価値観があること。

私はまだ浅はかで、他人の価値観を無視しがちだ。けれど、いつかこんな私でも”人の心”というものを取り戻すことができるはずだ。

私はいま、こんなにも他人の価値観について考えることができるのだから。私は私の心を信じてみることにした。

喉も潤い部屋に戻ろうとしたその時。リビングのソファで横になる母の姿が見えた。明かりは消えていたがカーテンが開いているため、薄っすらと様子は分かった。

机の上に置いてある手紙を纏めていた麻の紐がほどかれていて、母は一通の手紙を胸にスヤスヤと眠っている。

母にとってはこの手紙は生命線であり、何かに行き詰った時には必ず頼りにしていたのかもしれない。あの気丈で勇敢でたくましい女性に力を与えられるその手紙の文章が、私は気になった。

良いか悪いかで言えばきっと、人の思い出に触れることは本人から提示されない限り悪いことなのだろう。

月明かりが部屋に差し込み、私に魔が差す。机の上に置いてある手紙を一通抜き取り、開けて、読んだ。

が、すぐにしまった。

「佑衣子、お元気ですか?卒業以来の手紙になります。春から始まった社会人生活。そっちはどう?」美しい文字で始まるその一文を目にしたとき、母がまだ母となる前の、大切で愛おしく、誰にも触れられたくない彼女だけのモノだと思ったのだ。理解したのではなく、私は思ったのだ。触れてはいけない煌びやかな彼女だけの思い出なのだ、と。

ふるふると震える心を抱えて部屋に戻る。少しだけ目が潤んだかと思うと私の心を濡らした。

布団に横になり、薄手の毛布を被る。

窓から見える月を目にしまい、私は眠りに落ちる。心には”蓮の花”が咲いていた。


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