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コーマック・マッカーシーの奇跡

 コーマック・マッカーシーの訃報。
「言わずと知れた、現代アメリカ文学を代表する作家」
と、どのメディアも、追悼記事を載せました。

 わたしは全作品を読破してはいません。映画だけで知っている作品もあります。
(日本語でも、早川書房がきっちりと、丁寧に、出版してくれているようですね。日本で公開されている映画作品が全部ではないので残念です。たとえば、< The sunset Limited> のような傑作。)
 映画 <No Country for Old Men>(タイトルは原題通り)(邦題は『ノーカントリー』)は、日本でもたぶんヒットしました。
 なにしろ監督はコーエン兄弟。ハビエル・バルデムが出演。わたしにとっても、my favorite movies の一つです。
(ハビエル・バルデム!<Before Night Falls> (邦題『夜になる前に』)の時から毎度、役者としての奥行きを見せてくれていますね。)

 マッカーシー氏の文体、スタイルには際立った特徴があって、犯罪、暴力、残酷さ、過酷さなどが容赦なく剥き出しになるので、万人向けではないでしょう。映画も、ロマンティックで青少年の夢、希望、友情、目の醒めるような自然と美しい馬たちが目を憩わせてくれる<All the Pretty Horses> (邦題『すべての美しい馬』)にしても、血飛沫散りっぱなしですしね。
(女性からの熱い思いをまっすぐにぶつけられた青年―マット・ディロンーが、彼女を受け止めロマンティックな関係に身を投じた、そのためにメッタメタにされ、殺されそうになり、実際に友が殺され・・・恋愛の残酷さ。)

<Child of God >(邦題『チャイルド・オブ・ゴッド』)については、ものすごく入れ込んでいるのでいずれまた書きます。連続殺人犯の話で残酷性異常性が半端じゃない、と悪評も高いのですが、わたしにとってはこの作品、聖書のエピソードのようでもあり、感涙でした。Love of God の煌めきに打たれます。スコット・ヘイズの演技は圧巻。)

 いずれにしても、繰り返しますが、氏はアメリカ文学の一人者なのです。

 一人者? それほど素晴らしい作家なの?

 もちろんなのですが、一人者と呼ばれなくても素晴らしい作家は数えきれず存在し、作家でなくても素晴らしい人はどこにでも存在し、もっと正確に言うならば、誰もが素晴らしいのです。
 ただ、その素晴らしさを自分自身が、そして誰かと、または大勢の人たちと目撃し、差し出し、分かち合いたいならば、才能や努力というより、奇跡が必要です。奇跡だけが必要です。

 本当にそうなのです・・・と、改めて確信した記事をニューヨークタイムズで読みました。

 氏が32歳の時からそれは始まります。
 彼は大学中退後、小説を書いていて、しかし正確な書式も知らず、自己流でタイプしたものを、出版社に送りました。
 アメリカでは、作家はエージェントを持ち、エージェントが出版社と繋ぐのが一般的ですが、氏はエージェントなど知らず、また、出版社さえ知らず、唯一知っている「ランダムハウス」という有名出版社に原稿を送ったのです。

 第一の奇跡は、その原稿が、たまたま、編集者の目に留まったことです。送られてくる原稿の山。よほど幸運でなければ読んでもらえない希望と落胆の山の中から、編集者の一人が、マッカーシーの原稿の束を、たまたま、発見したのです。
 第二の奇跡は、その編集者が、マッカーシーが師と仰ぐ、ウィリアム・フォークナーの編集者だったということです。フォークナーの流れを汲む作品に、編集者は惹きつけられ、最初の作品が、目出たく出版されることになったのでした。

 ところがそのデビュー作は、残念ながら全く売れませんでした。

 内容は素晴らしかったのです。編集者は、原稿をトルーマン・カポーティを始めとした大作家たちにも送り、その支援も受けた(ということもまた奇跡なのですが)、にもかかわらず、売れず、二作目に挑戦するも、それも売れませんでした。
 二作目の時は、氏は、テレビのトーク番組『トゥナイト・ショー』エド・マクマホンと、釣り仲間になっていて、彼の支援も受けたけれども売れなかった。
 そこまでして売れないというのも稀な気がするし、それでも編集者が氏を見捨てず出版を続けたことも希少ですが、5冊目まで、全く売れず、ついに全てが絶版となってしまいました。さらには、編集者がついに退職することになったのです。

 氏は「28年間、作家を続けてきて、まだ一度も報酬を受け取ったことがない。これはギネスだね」と友人に書き送ったそうです。

 長きにわたって擁護し続けてくれた編集者が辞めるだけでなく、ランダムハウスの経営者が代わり、「どの一冊も必ず収益を上げなければならない」という新たな経営方針がスタート、氏の本を出せる土壌は完全に消えてしまいました。

 こうなると、奇跡は“効いてなかった”? と疑いたくなりますね。
「ビギナーズラックってやつだな。飛べなかったな」と。

 ところが。ランダムハウスで道が閉ざされたために、マッカーシーは、今度はエージェントに書簡を送りました。ジョアン・ディディオン、トニ・モリソン、トム・ウルフといった錚々たるビッグネームのエージェントです。そのボスは手紙を、部下に渡して任せます。

 そこでまた奇跡が起こりました。その部下は、“偶然”マッカーシーの、売れなかった本の一冊を読んでいて、素晴らしい!と思っていたのでした。
 それで氏はエージェントを得ることができ、エージェントの力で、新しい出版社をゲット。

 奇跡は続きます。

 移行先のクノップフ社では、ちょうどその時期に編集長が代わり(その新任の道のりも曲がりくねっていて、編集長の座に着くことは奇跡だったようです)、新編集長は、すぐにでも何か大きな業績が必要だったので、エージェントからマッカーシーの話を持ちかけられた時に二つ返事でOKしたのです。

 ランダムハウスの編集者は、
「2,500部以上売れた試しのない作家を引き受けるなんて正気の沙汰ではない」
 と、言ったそうです。

 奇跡は、まだまだ・・・。
 当時、出版業界は新時代に入るところで、異業種がチームを組んで書籍を売り出すという新たなマーケティングが始まっていました。
 つまり、作家が書き、編集者が本にする、営業部が売りに走り、広報が広告を打つ、というだけのシンプルなものではなく、作家が執筆を開始する前からピタリと編集者がつき、同時に広報、デザイナー、ポートレイトフォトグラファー等が参加し、映画化の準備も同時進行、チームで一冊の本の売り出しにかかる、という方法です。
 その編集者がゲイリー・フィスケットジョンというのですから、わたしなど、それだけで成功が決まったと思ってしまうのですが。
(フィスケットジョンは、アメリカの名物文藝編集者で、日本でも有名になりました。かつて新ロスト・ジェネレーションと呼ばれる新進作家たちをスターダムに押し上げた人です。)
(当時、彼の編集室は、わたしの住まいの隣のビルにありました。お洒落なジェイ・マキナニーやブレット・イーストン・エリスがしょっちゅう出入りしていました。フィスケットジョンが手がけたレイモンド・カーヴァーに会えたら握手して欲しかったのですが、カーヴァーは少し前にこの世を旅立ってしまっていました。)

 そうして、マッカーシーの書くものは、10万部売れるようになり、大スター主演で映画化され、オスカーを受賞し、オプラ・ウィンフリーの番組でも取り上げられ、、、と、“大作家”になったのです。そしてもちろん、かつて、28年間売れなかった5冊の本も、片っ端から売れ出しました。

 ニューヨークタイムズは、「彼の成功は“偶然によって”ではない。出版業界が複合企業に変身する時代に、彼が“偶然生きていた”のだ」と言っています。

 マッカーシー氏の作品は、一貫していて時代の流れによって変化するものではありません。どちらかと言えば、時代錯誤の文体です。わたしは、彼が「その時代に偶然生きていた」というよりも、彼は、ひたすら自分のやりたいことだけをやり続ける(つまり自分の内なる声を信頼し続ける)ことで、シンクロニシティという現実を受け取ったのだと思います。どんな状況でも、“失敗”“間違い”とジャッジしないで、外側から自分を“客観視する”などという馬鹿げたことをしないで、心の中の炎を絶やさなかったおかげで、私たちはいくつもの作品を通して彼の心につながることができていると思っています。そして彼と同量の役割を担っているのは、彼と人生をシンクロさせる、文字通り”救い主”たちです。この大作家は、本人を含む大勢の Children of God によって創造され、私たちの内なる Child of God を目覚めさせてくれたのだと感じます。

R.I.P. Cormac McCarthy. (July20, 1933- June13, 2023)





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