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ミスタードリラーが生まれるまでの話 最終回「ホリ・ススム誕生」

最後に、主人公「ホリ・ススム」の話をしましょう。


彼の名付け親は、私の同期で仲の良かったエンジニアでした。
彼は当時、会社の私の席横に置いてあった筐体にちょいちょいテストプレイをしに来てくれていたのです。
そんなある日「このゲームのタイトルなんだけど『ホリ・ススムの大冒険』っていうのはどう?」と、冗談めかして言いました。
そんなベタなタイトルはさすがに…と、タイトルについては却下させてもらったのですが、キャラ名は良いかもと感じていました。
ダジャレの名前が「ハイスクール奇面組」っぽくてキャッチーだなと感じたのです。
後、下の名前「ススム」だけ聞くとでは普通だけど、フルネームで聞くとダジャレになっているというのも気に入りました。

その後、他の名前も検討はしましたが、アンケートの結果、結局最初に出たホリ・ススムが良いということになり、正式に主人公の名前は「ホリ・ススム」となったのでした。


余談ですが、このダジャレネーミングは他のドリラーにも引き継がれます。

ホリ・タイゾウ 堀りたいぞう
ホリ・アタル 堀り当たる
ホリ・タイヨウ(その後トビ・タイヨウ) 掘りたいよう
アンナ・ホッテンマイヤー 穴、掘ってまいやー
シータ・モングレー 下潜れ
ホウ・ランカイ  掘らんかい
トニー・カーク・ホルノスキー とにかく掘るの好き

他にも
ホリー・マクレーン 堀りまくれ。(ダイハードのマクレーン警部の奥さんとかぶってるのでボツ)

などがありました。周囲の企画メンバーに話したらみんなダジャレが好きなのか、大喜利のようにネーミングアイデアが出るわ出るわ…遊ぶように仕事をしていた懐かしい思い出です。

その後の業務用稼働までの経緯は、おおむね吉沢さんのtwitterの通りです。
怒濤のように過ぎていった1年でした。

R4の発売が1998年12月、初代ミスタードリラーの稼働開始が1999年11月で、開発期間はプロトタイプ込みで1年足らず。
開発のコアメンバーはディレクション兼プランナーの私、エンジニア2人、デザイナー1人、サウンド1人の計5名という少人数。
家庭用の開発部署だったので、業務用アーケードゲームの開発は初めて。

こうして振り返ると、リリースできたこと自体が奇跡だなと感じます。
若手中心ではありましたが、才能と情熱のあるメンバーに恵まれたことが大きかったです。
また、そのメンバーを集めてくれ、ゲームの細かい内容には口を出さずにプロジェクトの成功を信じてメンバーに任せてくれた吉沢さんのプロデュース力は大きかったと思います。
特にサウンドを担当してくれた椎名豪さんは、その後アニメ「鬼滅の刃」の音楽を担当されるほどの、雲の上の存在になってしまいました…(あの頃BGMのことで変なこと言ってゴメンなさい)
独特な世界観を持ったデザイナーのマッキーとは、その後SCE時代に「クルトン」というタイトルで再びタッグを組むことになります。

おかげさまでミスタードリラーは多くの方に評価され、第一回アルカディア(旧ゲーメスト)大賞を受賞しました。
また、2000年の第5回日本ゲーム大賞では、ゲームデザイン賞、キャラクター賞、パッケージデザイン賞の3部門にノミネートされ、キャラクター賞を受賞しました。
キャラクター賞ノミネートの中にはあのピカチュウもいた記憶があります。びっくりですよね。

キャラクター賞の受賞も嬉しかったのですが、個人的にはゲームデザイン賞に憧れのゲーム、ドラゴンクエストと並んでノミネートされたというのが最高に栄誉なことでした。
まさか授賞式であの堀井雄二様と同じ壇上に並ぶことが出来るなんて…

我が生涯に一片の悔い無し!

まだ20代でしたが、そんな気持ちでした(笑)
授賞式ではテンパり過ぎて、胸に食事テーブルの席が書いた札を差したまま壇上にあがってました…

この時が53年の人生で一番輝いた瞬間でしたね…(遠い目)

ミスタードリラーはその後様々なプラットフォームに移植され、今日に至ります。
未だに現役で遊んでくれている方がいらっしゃるのは本当に嬉しく、ゲームデザイナー冥利に尽きます。

私自身、今はミスタードリラーとは直接関わってはいないのですが、より多くの方にこのゲームを遊んでもらえるように、陰ながら応援していきたいと思っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


終わり




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