その寺院は様々な歴史を越えて
泉涌寺を後にして、京都の歩きの旅では北へと向かい
次に訪れたのは智積院は、全国に3000あまりの末寺を
有する真言宗智山派総本山。智を積むと書く智積院は
学問寺ともよばれ多くの学僧を排出された。その広い
境内に20もの伽藍が並ぶ智積院は400年前、玄宥僧正
によって、様々な歴史を越えてこの地に再興された。
智積院の正式名称は五百佛山根来寺智積院。根来寺と
は和歌山にある寺院で、五百仏山(いおぶやま)は
その周囲に広がっている。1585年、豊臣秀吉による
根来攻めで灰に帰し