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山科を下った先にある世界遺産へ

歌人ゆかりの寺院の次は

豊太閤ゆかりの寺院へ。隨心院を後にして、また山科の
街をのんびりと南へくだる。小さな自転車でも十分な
距離で、寺院をたどりながらの山科の旅。次に訪れた
寺院は、古都京都を構成する世界遺産の一つでもある。


気持ちのよい空の下、小さな自転車も快調に進んで
駐輪場に自転車を停めて境内の方へ。その前に
気になる瓦屋根の建物にフランスの国旗
隣の蔵に落ちる影も楽しい
ル・クロ スゥ ル スリジェ。お店の前にはメニューも
それは霊宝館の敷地内にオープンしたカフェで

訪れたのは本格フレンチが境内にある斬新な寺院の

醍醐寺。右下の駐輪場から広い境内を進む
訪れたのは7月の初旬。桜は青々と葉を茂らせる
築地塀と影。その向こうの霊宝館では、その日
ブルガリのイベントが行われていて貸し切りに

ブランドのコレクションの会場にもなる醍醐寺

日本の美しい文化遺産は新しいデザインとも共鳴して

駐輪場から入ったので、ひとまず総門を目指し
あらためて境内への入口となる総門から、順に境内をたどる
訪れたの下醍醐。上醍醐は山の上に、ここへはまたいつの日か
そして醍醐寺は古都京都の文化財として世界遺産にも登録に

京都の世界遺産へもぼちぼちと

あらためて総門をくぐり拝観受付に。まずは門の奥の
三宝院の敷地内へ。玄関へ向かう途中には
左手には太閤しだれ桜、正面には立派な松の木
松の大きさや樹形に圧倒されつつ、玄関の方へ
大きな唐破風をくぐる。こちらでもブルガリのイベントが
醍醐寺の境内絵図。上醍醐と下醍醐の様子がよくわかる
建物内の格子や襖の意匠を楽しみながら
磨かれた板貼の廊下を進む。左手に広がる
庭園や奥の建物も気になりつつも
先へと進む。こちらは勅使の間で
襖には長谷川等伯一派による竹林花鳥図
細やかな縦格子にも目を留めて
外に目をやると擬宝珠も
広がる庭園とその奥には三宝院の勅使門にあたる唐門
先程の擬宝珠はこちら。右手に勅使の間
さらに先へと進み、国宝でもある表書院へ。襖には蘇鉄と孔雀
広縁の向こうには庭園が広がる
下段の間から一段先の上段の間を見る。下段の間は能の間にも
蘇鉄と孔雀の襖は石田幽汀によるもの。その先の上段の間の
床の間。壁や襖には長谷川等伯一派による四季の柳
そして表書院の内部からも眺められる
三法院の庭園は国の特別史跡・特別名勝でもある
庭園にも蘇鉄。様々な石、枯山水と池の組み合わせ
池には亀島と鶴島など、多くのものが配置された庭園は
豊臣秀吉が基本設計した庭で、多様なものが調和する世界に
想いがはせられたという。賀茂の三石は加茂川の流れを表して
その複雑さの中の調和に、しばし見入る至福の時

奥の純浄観から先でもブルガリのイベントが

表書院と庭園を後にして、引き返して入口のほうへ
蟇股の彫刻も楽しみつつ
五七の桐の紋といえば豊臣秀吉
大玄関を後にして、三法院の風景を名残り惜しみつつ
気になるデザインは最後まで
松の樹形と影も楽しんで
三法院の門をまたくぐり
国宝の三宝院唐門を外からも。扉には五七の桐と十六菊花紋
次は桜並木の向こうに見える仁王門へ

そうだ京都、いこう。の動画も見つつ

その頃、開催の醍醐寺国宝展の紹介動画も楽しんで

874年、聖宝尊師により開創された醍醐寺。以来、醍醐、
朱雀、村上の父子三代の天皇により、醍醐寺の基礎が
築かれたという。その一千余年の歴史を持つ醍醐寺は、
木の文化、紙の文化の伝承の宝庫となり、明治維新期の
廃仏毀釈の際、一山に伝わる一切の宝物を一紙に至る
まで流出させないとして、宝物を守り抜いたという。

知れば知るほど奥が深まっていく醍醐寺。国宝となる
文化財は75000点にも。また豊臣秀吉が最晩年に開催
した醍醐の花見は、日本の花見のルーツでもあるとも
いう。それにあわせて自らが設計した三宝院の庭園。
花見のために移植された700本の桜。花見に招かれた
1300人の内、9割は女性。2度の衣装替えのため調達
した多数の着物は、西陣復興の意図があったともいう。
豊臣秀吉という人物にも、旅をしながらふれていこう。


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