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壺中天アリ / かのうたかお

「壺中天」と言えば”壺の中に飛び込んでみたら別の世界が広がっていた”という中国の故事にまつわる言葉です。
飛び込んだ男は美酒と美味しい食べ物に溢れた壺世界を堪能します。
別世界や新天地に希望を抱き夢見る心は今も昔も変わりません。
しかし、この新たな世界は気づいていないだけですぐ近くにあるのかもしれません。

この「壺中天」をタイトルに冠した特異な陶芸作品を代表作とする作家がかのうたかおです。

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かのうたかお『天ヲ繋グ』
※「第一回壺1グランプリ』グランプリ作品(白白庵所蔵)



かのうたかおをご存知でなく、この記事を読んで「どんな人なんだろう?」と検索してみようとする方々に先回りして申し上げますと、三つ編みにした長い髭にテンガロンハット、サングラスにウエスタンブーツとレザージャケットを身に纏った男性の姿がヒットするでしょう。
間違いなくその方です。
なかなか印象深いビジュアルですが、それ以上に彼の作品は強烈です。
非常に特徴的でありながら、同時に「焼物とは土を焼いて固めたものである」というプリミティブな定義を力強く、あるいは非常に分かりやすく示して私たちを楽しませてくれます。(深く知るうちにそれらがプリミティブなようでいて、実は歴史性に裏打ちされたアカデミックなアプローチが共存していることに気づくでしょう)

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かのうたかお『茶盌』


かのうたかおは京都の窯元に生まれ、本来であれば長男として窯の四代目となるはずでした。しかし京都という土地と家、そして陶芸そのものが内包する歴史性を鑑み、焼物の可能性を追い求め拡張すべく家業は実弟に委ね外に出ます。
この「外に出る」、というのもまたダイナミックな奔出となり青年海外協力隊の一員としてアフリカのニジェール共和国へと旅立ちます。
そこでは「作陶指導」という目的で滞在していたのですが、言わずもがな現地のプリミティブな焼物やアフリカのローカルな文化に強く影響を受けます。外から日本の焼物を客観視する事で日本的な美意識のルーツを再発見することとなります。

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かのうたかお『off the wall』

「現在の日本的な美意識のルーツは弥生土器にある」とかのうたかおは語ります。縄文から弥生に移行する中で徐々に洗練されるフォルムに、ユーラシア大陸やアフリカ大陸でも発展した壺の造形感覚に近い感覚を見出します。

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かのうたかお『壺』


装飾や造形は弥生期にシンプルなものに変化したとしても、足元が細く絞られ、また別々に作った上部と下部を繋いで作られる壺には高度な技術が要求されます。シンプルに見えても、そこに費やされた時間と技術は縄文式土器と同じく多くの労力が必要だったのでは、とかのうたかおは推測します。

そのような労力を費やしてでも生み出されるそれらには明確な目的意識と美意識が存在していたはずです。
「見えない細やかな労力を注ぐことで美しいものを生み出す」弥生時代の感覚に日本的美意識のルーツと時代や地域を超えた共通項を見出します。

そしてその壺が持つ造形のダイナミズムそのもの、あるいは壺という概念が持つ拡張可能性に魅了され、かのうたかおはありとあらゆる壺を生み出すのです。

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かのうたかお『壺中天アリ』

『壺中天アリ』と題されたこの作品はかのうたかおの代表的な作品シリーズのひとつです。その名の通りに壺の中の形がここに示されています。空洞を形にする事は、そこに確かに存在しているのに見えていない形を提示することです。内と外には同じ表面の上に拡がる別の世界が存在しています。
それは対立した在り方ではなく、同じ形の中に潜むものであり、常にそこにある形です。
あるはずなのに見えていない形を提示することで、個々人がそれに対して再発見する「面白い形」もそれぞれに異なります。
壺中の天を形にすることで、鑑賞者が新たな物の見方を発見するきっかけになれば嬉しい、とかのうたかおは述べます。

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かのうたかお『注器』

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かのうたかお『ぐい呑』


これらのダイナミックな作陶のエッセンスを掌に収まるサイズでギュッと濃縮した器たちの存在感も異彩を放ちます。
弥生から連なる美意識、さらにその未来形が詰め込まれた器たちは美酒酒肴を目の前にした我々に、当たり前な日々の営みに新鮮な楽しみ方を提示して「数寄」の世界へと誘います。
料理を盛り付けた時、お茶を点てた時、これらの器を掌に収めた時にこれまでに経験した感覚と異なるワクワクした気持ちが沸き起こるはずです。
見えているようで見えていなかった何か、知っているようで感じ取れていなかった感覚に気づくのです。

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かのうたかお『パンドラの壺』

かつて京都では現代陶芸を志す「走泥社」というグループがあり、かのうたかおの祖父もその創設メンバーの一人でした。
走泥社の代表的な作家である八木一夫は日本の新たな陶芸を確立すべく壺の口を閉じたそうです。
その壺の口を今一度かのうたかおはこじ開けます。
こじ開けることで、そこにあるはずなのに見落とされている形を取り戻し、新たな可能性として提示します。
「パンドラ」は「ありとあらゆるもの」を意味します。
パンドラの壺の底に残されたものは、かのう作品の全てに散りばめられていることでしょう。


白白庵オンラインショップ かのうたかお作品一覧



かのう たかお
KANO Takao

陶芸家 / 京都府在住

1974 京都生まれ
1998 京都精華大学美術学部造形学科陶芸専攻 卒業
1998~2001 青年海外協力隊隊員として西アフリカ・ニジェール共和国にて作陶指導(陶磁器隊員)
2013 第一回『天祭 一〇八』「増上寺現代コレクション」・グランプリ
2020 第一回『壺1グランプリ』(白白庵)・グランプリ

http://www.pakupakuan.jp/artist/KANO_Takao.html

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