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事の端・現の端 富田啓之

不思議な事に、一般的に陶芸家はあまり自身の制作スタンスや思想、表現活動における内的な部分をあまり語らないようです。
もちろん雄弁な方もいますし、多くを語りたがる方もいますが、例えば絵描きの方々と比べるとその数は少ないように感じます。
分かりやすい例を挙げれば、Twitterの投稿がアクティブな陶芸家の数を画家と比較すれば一目瞭然でしょう。
自身の語る言葉と外部からの批評において、文字として言語化された量は絵画と比較すれば陶芸は圧倒的に少ないのではないでしょうか。

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富田啓之『Supernova Silver』

そこには様々な理由が想定されますが、一つに陶芸作品(主に器)は所有者が「使う」「肌に触れる」という行為が必然的に備わっており、作品から所有者へのコミットメントの質が全く異なる、という点が挙げられるでしょう。
言い換えるならば"作品-作者"よりも"作品-所有者"の関係性に重きが置かれ、そのムードによって慣習的に作者の語りが少なくなっているように感じます。
もちろんどちらが良い悪いという話ではないのですが、作品のナラティブが「使う」という行為によって所有者へコミットしやすいのが陶芸(そしていわゆる工芸)の特質であり、触れる事によって言語化は二の次になりやすい、とも言えます。

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富田啓之『総金彩市松文ぐい呑』

そんな中、興味深い試み富田啓之公式webにて開催されました。
「コトノハ96」と題されたこのweb個展では「いろはにほへと」平仮名と片仮名の一文字ずつに言葉が割り当てられ、そのイメージと紐付けられた作品が公開されたのです。
作品よりも先に言葉が提示され、ページに足を踏み入れると作品が表示され、散り散りになった言語イメージのコンテクストが富田啓之という作家をハブに繋がり、個々の作品として示される。
手に触れる事ができないからこそ、その作品が纏うイメージを一歩踏み込んだ形で提示する、web個展ならではの発表手段でした。
(現在は終了して非公開)

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富田啓之『金彩直弧文ぐい呑』

日本において、言葉と器は強い結びつきを持ちます。
「言葉」は「コトノハ(事の端)」であり、器は「ウツハ(現、空、移の端)です。
言葉が世界内の差異を区分する事で現実を作り上げ、我々に世界内のあらゆる物事を認識させる役割を担い、そしてその映し出された物事が時間と空間の中で移ろう端を切り取るのが器です。
この国の環境と交わりながら暮らす人々が見出した自然認識とそれにまつわる言葉が、思想として交わりつつそれぞれが相互発展し、歴史を重ねてきたのです。

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富田啓之『金彩色絵墨流ボウルぐい呑』

個人的な雑感ですが、富田さんの作品を手に取ると常々アメリカの90~00sのインディーオルタナティブロックを想起します。このカテゴライズ自体が非常にぼんやりとしていますが、インディーでオルタナティブでロックな器である、という事です。
例えばFlaming LipsとかAnimal Collectiveとか、60sサイケデリックを消化してキャッチーかつちょっぴりスノッブで、スマートというには少し泥臭さとか青臭さがすぎる、遠い異国の表現なのに近くにいる友人が鳴らしているような親密さのある音楽が流れます。
そしてそこには、自分たちの価値観を大事にする世界を打ち立てようという若々しい理想主義の香りがあります。
十代後半から二〇代前半を共に過ごしたそんな音楽は今でもとても愛おしく響きます。そんな音楽との親しみと同様な感覚を彼の作品に対して覚えるのです。

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富田啓之『ワールドワイドな道徳で』

「コトノハ96」にて、偶然にも僕の抱える問題意識とリンクする作品がありました。
心惹かれる作品は多々あれども、言葉と併せてしっくりくるは作品はこれでした。SNSによる情報過多と多様化が進み過ぎて細分化した価値観とそれを無理に統合しようとするポピュリズム、行き過ぎた新自由主義やリバタリアニズム、反動として幼児化する保守、新型コロナと共に浮き彫りにされる道徳観の差異。などなど。
各々が生きる「世界」とバーチャルな概念となってしまった大きな「世界」を繋ぐのは倫理の仕事であり(美と倫理はひとつである、というヴィトゲンシュタインの言葉を思い出しながら)アートの役割について考える自らの思考と合致する「ワールドワイドな道徳で」。
これは「僕のための」作品だと思ってお迎えしたのです。

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富田啓之『白金彩片身替市松文茶碗』

こんな世界でアートが何かできるはずと思うのは、世界を少しでも変えられるかもしれないと考えるのはそれこそ青臭い理想主義かもしれません。
しかし、「これは自分のための作品だ」と思えるような出会いがあり、大切にすべき物を、そして美しさという価値観を側に置く事で間違いなく手にしたあなたの生活は変わります。生活が変わればその積み重ねである人生が変わります。そんな人が増えれば世界は変わる。
そう信じます。
白白庵でそんな出会いが作る事ができれば僕は幸せです。

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富田啓之『Purple ラスター彩皿』

富田作品に溢れるポジティブなエネルギーが、それを必要とする誰かに届きますように。新たな出会いがここにありますように。


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