大学生のレポート:ミャンマー独立の歴史と現在の繋がり
ヨーロッパ列強、そして旧植民地。この世界には、生々しい歴史が残っている。ヨーロッパを100日ほどずっと旅してきたが、次は2024年に東南アジアに行きたいと思っている。一応「国際関係学部」というところで勉強していたので、ここら辺には興味がある。というか、興味を持てるような授業に巡り会えた。せっかくだから、それらの内容ももう一度思い出してみた上で、現地の文化や雰囲気と、その歴史の関係性をこの肌で感じてみたい。
植民地の歴史
植民地支配というものは、経済的に国内で出世できない人々、キリスト教の勢力拡大を目指す宣教師等が、国力拡大のための国外に活路を見出した事を発端とする。表向きの建前としては、「文明人としての西洋人が優れた人種の責務として遅れた文化圏の人々を啓蒙してあげる」が掲げられて植民地支配は正当化された。これが大きな原因となり、中心と周縁の構図が固定化され、南北問題と呼ばれる問題が残存している。
ミャンマーは、大国の思惑に左右されながら国家運営を進めてきている。1940年、イギリスの支配から抜け出すため日本軍と協力し、イギリスを追い出して独立したかのように見えたが、日本軍によって支配された。日本軍による裏切りといったニュアンスが強い。日本が敗戦して去った後には、再びイギリスの支配に逆戻りした。
こうした継続的な支配への抵抗として、反ファシスト人民自由連盟や、独立の直前のビルマ国民軍が誕生し、1948年の独立が実現された。その独立の英雄がアウンサン将軍であり、彼はアウンサンスーチーの父親だ。
その後の1962年のクーデターで誕生したネ・ウィン大統領からは、指導者が変わりながらずっと軍事政権が続いている。国家運営の建前としての制度は存在していても、行政(大統領)に権力が過度に集中している。
途上国政治の大きな特徴である、フォーマルな制度に収まりきらない政治がミャンマーでも行われている。制度の枠組みの外で行われる意思決定がまかり通ってしまう。法律違反行為や憲法の効力の無視の結果として、軍隊が軍事クーデターによって一旦権力を掌握してしまうと、憲法ですら軍部の思うままに変更されてしまう。憲法の「正当性」はもはや存在しない。
民主化を目指す指導者としてのアウンサンスーチーが台頭すると、彼女を排除するための制度が構築される。2015年にはパートナーがイギリス出身で、子どももイギリス国籍を持つアウンサンスーチーを排除するため、多国籍の人間は政権を握れないという条項が設置された。
軍事政権下で、一度出国すれば再入国は出来ないため、アウンサンスーチーは、民主化の夢とパートナーの死を看取ることを天秤にかけることとなり、夫の死を見届ける事は出来なかった。
途上国を率いる事の難しさ
ミャンマーは、「無理やり作られた政治単位」としての植民地の歴史を持っている。そのため、独立後は、多様な民族が国家内に存在している状態から、一つの国家として人々をまとめあげていく事が求められた。混乱した国内状況という「ディスアドバンテージ」からのスタートを強いられているとも言える。多くのエスニックグループを抱えて、束ねないといけない。
植民地時代は、130の民族がいるのにも関わらず、イギリスによって英国領ビルマとして一括にされた。イギリスによる支配に対抗するために、植民地内の違った民族が団結した。しかし、独立が近づいてくると、どの民族が主権を握るかを巡って争いが再燃してしまった。途上国を率いることの大変さが伺える。同胞意識、あるいは仲間意識がない集団を統率する事自体が、植民地から独立する国にとって特に困難な部分だ。
1921年には民族教育が注目を浴びた。自国の植民地の歴史をどう語るかが重要視されてきた。国家として、何を教えるのかによって国としてのまとまり具合が大きく変わってくる。まさに教育は、「国民意識の植え付け」の過程だ。国民が、教育を通して共通で学ぶ歴史解釈、あるいは歴史観の形成が国家を統一する。このような国民意識の形成の結果として、「自分たちの地域は自分たちで統治しない」といけないという、ナショナリズム的発想が強化される。よって、独立国の政治は強権的になってしまう場合が多い。
また、途上国の政党は指導者ありきである場合が多い。ミャンマーのアウンサンスーチーに関しても同様の事が言える。象徴的な抵抗のシンボルとして、1人だけ違った扱いを受けている。NLDの集める支持は、「独立の英雄の娘」としてのアウンサンスーチー個人に強く依存している。父であるアウンサン将軍が、独立を目指した軍隊の創設者である事が、アウンサンスーチーを特別視する風潮の所以だ。彼女は、オックスフォード大学で学んでいた。旧宗主国で知識を蓄えて戻ってきたエリートがそこで得てきたものを元に政治を動かすという面では、民主化の指導者として彼女が台頭したこと自体と、植民地の歴史には関係性があるとも言える。
独裁体制のメリット
独裁体制が、スピード感を持った政治を可能にするのは事実だ。話し合いをするにあたって、人数が少ないほう進行がスムーズに行きやすいのと全く同じ論理だ。だが、独裁体制と聞いて多くの人が想像するように、どんどんと政権の都合のいいように制度が変更されていってしまう。やがては、政権の権力の維持が目的になってしまう。
ミャンマーでは、国を守る国防のための組織であり、本来の政治活動の組織ではない軍隊が政治を動かしてしまっている。歴史を振り返れば、独立後の混沌とした現状をなんとか打破するために、軍人がクーデターで政権を奪取し、政治の立て直しを試みたのが始まりだった。
反対意見を丸め込む、強引な政治的手段が取られてきた。国際社会からの非難はよそに置いて、反体制派を徹底的に排除し続けている。国の経済の発展の事を考慮すれば、強引に政治を進められるからこそ経済が潤った側面があることも否定出来ない。軍事政権は人の自由を奪い、多くの犠牲を強いるが、国を前進させる。社会主義政権よりも軍事政権の方が、ある意味効率がいい。この論理にはある一定の説得力があり、そう考えるエリート官僚も当然存在する。
日本だって、戦時中には完全な軍国主義国家だった。民主化の歴史は戦後のGHQの支配があってからの話なので、そう昔から今のような制度が確立されていた訳ではない。軍国主義や権威主義と聞くと、日本とは無縁な気がしてしまうが、完全にそうとは言い切れない部分があることに留意したい。官僚的権威主義体制は、成し遂げたい経済的目標に向かうための手段としての一面も持っている。
独裁体制のデメリット
権威主義体制下では、権力に近い人が利益を独占するための体制を固めて行く。指導者に近づくと必然的に恩恵を得られるシステムが構築されていく。
具体例としては、退役軍人の国営企業への天下りが挙げられる。特に顕著な事例は鉱山開発などの鉱物資源管理で、国家財政に極めて大きな影響力を有している分野だ。軍隊ありきの産業において、軍隊がなくなってしまえば、今まで通りに経営ができなくなり、経済に大ダメージが及ぶ。このような政治的影響力をどう減らしていくかは大きな課題だ。
軍隊の強すぎる権力の弊害はメディアにおいても見られる。国営メディア一社、テレビも1チャンネルだけ、といった現状から、メディアの民主化も求められている。
2021年6月30日付の国営紙では、外国メディアが国軍側の意に沿わない報道をすれば「法に基づいて措置を講じる」と警告がなされている。ミャンマー国内では、国軍によるインターネットの遮断も行われている。それに対して、人々はインターネットの基地局の近いタイからSIMカードを大量に送って対応をしている。
軍隊がなければ成り立たない経済構造だけに留まらず、国民に対しての人権侵害も横行してしまう独裁体制の恐ろしさが伺い知れる。話題になっているロヒンギャ問題での、市民権の剥奪などの人権侵害は、政府のお墨付きの下行われている。官僚も警察も人身売買に加担している。そして、人権保障のために活動を行う国連も、ミャンマー政府との関係性を考慮して宥和政策的な動きを見せている。植民地時代を発端とした、権威主義体制が誘引となっている問題はまさに現在進行系だ。
最後に
ここまで見てきたように、途上国政治の特徴として顕在化する軍隊による暴力、政治汚職、被援助は、ミャンマーで実際に起こっている問題だ。国営企業と軍隊の癒着の例に代表されるような、政治腐敗に陥ると、当然の如く国民から不満が沸き起こってくる。そういった、長期化した権威主義政権への不信感は、2021年のミャンマーでのクーデターの最も大きな原因だと言える。
だが、過去の出来事を丁寧に辿っていけば、権威主義が必要とされた理由は植民地時代の大国に振り回された過去にあることがわかる。決して途上国の政治家が怠惰などといった短絡的批判を安易にすることは許されない。この2021年に発生した軍事クーデターも、歴史が生み出した負の遺産として解釈しなければならない。
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