見出し画像

情報過多で疲れる、ストレスを感じる。適度な距離感で自分自身を整える。

人はいったい一日にどれだけの情報量を処理しているのだろうか?
そんなことをふと思った。
というのも、あれこれとやることが多いために深くひとつのことに集中するというよりも、広く浅くそして効率的に意識を使わないといけない状況がこのところ多かったことに起因している。

もちろん、こういうマルチタスクが得意な人もいると思う。
が、わたしはどちらかというとなるべくひとつのことを深くじっくりと追求したいタイプなので、情報量が多すぎると意識が散漫になり、グラウンディングできなくなってしまう。

おそらく社会人の多くは多すぎる情報量の中で生活を強いられ、実は脳内は悲鳴を上げているのだが、それが当たり前のように慣れてしまい、麻痺してしまっていているのではないかと思ったのだ。
それによる倦怠感、精神的な疲れ、ヤル気が削がれる、集中力がなくなる、頭痛、身体機能の不順などという症状が起きているような気がしたのだ。

そもそも目と耳から入ってくる情報は異常なまでに多くなっている。スマートフォンの普及によって小さな画面に釘付けになっているし、意識してもしなくても広告宣伝の類は嫌でも視界に入ってくるし、ご丁寧に音とバイブレーションでお知らせまでしてくれる。
音もそうだ。駅に立っているだけで繰り返し繰り返しさまざまなアナウンスが流れ、人はそれを回避しようと耳にイヤホンをつけて好みの音で騒音を遮断している。

なんか異常じゃないか?

目を閉じ、海の音や川のせせらぎ、木々のざわめき、風の音など、自然の音の中に身を置く。それがどれだけ人の心を解き放ち、安らぎを与え、肩の力を抜き、頭の中をクリアにしてくれることか、と感じたのだ。

自分自身に意識を向ける、自分自身と繋がる、それが大事な時代だよ、などと私もnoteを通して伝えたりしているが、そうそう簡単なことじゃないな、と異常なまでにあふれ返っている情報量に痛感したのだ。
ポジティブな情報ならまだいいが、大半はネガティブな情報ばかり……。

ストレスは減るばかりか増える一方じゃないか?

だからこそ本当にひとりになる時間をスケジューリングしておかないと、情報デトックスは難しい。やることに追われ、未来を心配し、今ここに意識を向けるなんて到底できることじゃない。

画像1

時間が自由に使える人ならまだいいが、時間を拘束されている人たちにとっては、処理する情報量の多さで病気になってしまう気がするのだ。
結局、人の意識に対して処理しなくてはならない情報量が多いこと、それもその大部分は自分には不必要なジャンクな情報によって心を蝕まれていくのではないだろうか。

目を閉じる。深呼吸する。浮かんだ思考にフォーカスしないでただ流す。
できたらYouTubeなどで自然の音で環境を設定する。

これを一日10分やるだけでも違うのではないかと思ったのだ。
もちろん、お風呂でゆっくりするのも、ただ好きなことをやるのもいい。
とにかく人工的なサウンドや文字から遠ざかる時間を持つこと。

なんかシンドイな、疲れるな、だるいな、という感覚があるなら試してみて欲しいと思う。それくらい放っておくと情報の渦に巻き込まれてしまう。

情報過多な時代なだけに、自分なりの適度な距離感が必要なのです。
すべては自分。自分にとっての「本当の心地よさ」をちゃんと自分で守るようにしましょう。自分の世界は自分で創る。風の時代の生き方です。


もし気に入っていただけたましたらサポートお願い致します。クリエイターとしてさらに上を目指して頑張ります!感謝!!