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誰かの人生の脇役として生きるよりも、自分の人生の主役として生きる。

自分の人生の主役は自分自身だ。
そんなこと言われなくてもわかってるよ、と言われそうだが、本当に自分の人生の主役をちゃんと生きているだろうか?

私たちの意識は、無意識に持っている価値観や信念がベースとなって、感情が生まれ、その感情が思考を創り出すようにできている。
問題なのは価値観や信念といった、あなたの人生を創り上げている基礎部分が本当に自分の人生の青写真と合っているかどうかだ。
自分の人生の主役として生きている人は青写真に沿っているから、楽しみにあふれ豊かさに満たされ、自分の人生を本当に輝いて生きている。

なんか人生がつまらない、こうしないと、ああしないと、人の目が気になってしまう、人の言葉に左右されてしまう、メディアに影響されてしまう、生きるのが怖い、空しい、何していいのかわからない……。
自分自身を輝かせるどころか、自分を喪失してしまい、自分ではない誰かの言動によって自分の人生のコントロールを失ってしまっている。
その相手のことを知っていようといなかろうと、誰かの人生の脇役として生きている人は割と多いのではないだろうか。

かく言う私も人の言葉に左右されることもある。人の言動に心揺らぐこともある。それでも、私はどうしたいのか?を常に考えるように心がけている。

かつて私も無意識に親や社会が敷いたレールの上を、それが正しいと信じて歩いていた人間だ。正しいかも知れないけど、ちっとも楽しくないし、幸せでもない。
ただなんかよくわからない違和感を感じ、常に肚の内にグレーの苦いキツい何かを感じながら、グレーの苦いキツい世界を生きていた。
責任を他人のせいにし、人の言葉に一喜一憂し、意見が合わないと責めて争い、人の目を気にしていい子のふりをして、内心ではものすごく怖がって、こうありたいと思う自分ではなく、こうしないと他者に評価されないからそう演じているという自分を生きていた。

疲れるし、つまらないし、空しい。グレーの苦いキツい世界。

それは私自身の人生の青写真とはまったく違う世界だった。誰かの言った言葉を自分の価値観だと思い込み、メディアで流れてくる情報が真実だと思い込み採用し、自分以外のものに決定権を渡していることにも気づかずに、それが自分だという妄想に囚われていただけだった。

何をやってもうまくいかない。人は離れていき、お金も失っていく。
これが俺の生き方だ、などと自虐的になり、無理矢理にそんな自分を肯定しつつ、人の言葉や社会におびえながら生きていた。

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ふと、気づいた。ある時、すべてを失って、気づいた。

自分が無心になれるもの、楽しいと思えるもの、なんだか知らないけどワクワクしてくるもの、心が軽くなるもの……自分の中にもこんな感覚があったことに気づいたのだ。
失うものなんて何もないんだから、あれこれ考えずこの感覚に従ってみようと思った。
誰かの役に立つとか、お金になるとか、そんなことどうでもいい。
ただ心が軽くなるほうへ、楽しいと思うものを、優先した。

なんだかとても楽しいぞ、朝起きた時になんだかワクワクしてるぞ。
まるで遠足の朝の子どものように、意味もなくわけもなく楽しい気分。
お金はない。友達もいない。でもなんだか楽しい。
グレーの苦くキツい世界はそこにはなかった。むしろなんだか眩しくキラキラした感じ。そんな日々を過ごしていると、不思議なことに、仕事が入ってきたり、話の合う人たちと出会ったり、偶然が重なるシンクロが起きたり。

周りなんてどうでもいいし、世間的な常識や情報なんてどうでもいい。
人の目よりも自分の快感!!という感じで生活するようになった。
この時、重たい何かが外れた。初めて自分を生きる感覚を体感した。

自分の人生の主役は自分自身。この言葉の意味を本当に知った。
今まで自分だと思い込んでいたものは自分じゃなかったし、自分の人生を生きているつもりだったけど、誰かの脇役を生きていただけだったのだ。

私みたいにどん底まで行く必要なんてない。
ただ本当に周りに左右されない人生があるということを知って欲しい。
自分がワクワクするものって誰だってある。
その小さなきっかけを見つけて欲しい。そこがあなたがあなたに繋がるカギだから。すべては、JIAI(自愛・慈愛)から始まる。

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