文章の大切さ

言葉では不十分な事がある。
誤解が生まれやすい。
伝えたい事がしっかりと伝えられない。
そんな事で良く頭を悩ませる。
本当に伝えたいことは直截的に言うべきだけれど、どうしても熱がこもると回りくどくなって結局伝わらない。
自分の感性を信じて「これが正しい」と思い込んでいるから、伝わらなかった時のショックは気持ち悪くなる程に残念だ。

SNSでの言葉、呟き、短文。
ツイッターやLINEのそれは文字であれど文章と呼ぶには不十分な事が多い。
反射的に文字を打ちこんでいるだけであって、文字というより言葉だからだ。
返事や相槌のように、脳を介さない一種の瞬きであって、会話的だ。
SNSは流動的であると思う。
その流れは滞りなく流れる。
何かを呟けば不特定多数の元に届く。
LINEのやり取りは会話レベルの速度で繰り広げられる。
そのようなものに頼り過ぎて、いざという時に私は口ごもってしまう。
どうも口から発せられる言葉がSNS的で脳を介した言葉でないような気がしてならない。

どうしても大切な事を伝えたい時、私は手紙を書く。
ペンと紙を用意して机に向かう。
あーでもない、こーでもない、とは考えない。
書くという動作は必ず脳を介して行われている感触がある。
だから、文章を書くときは滞りなく進む。
パソコンのキーボードで打つものとも違う。
この文章のようにスマホの画面をいじくって書く文章でもない。
ペンを持って書くということの大切さは書けば分かると思う。

最後に手紙を書いたのは去年の3月だった様に思う。
兄へだった。
どうしても言葉でもLINEなどでも伝え切れないものだった。
コンビニでペンと便箋を買って机に向かった。
確か3枚ほど書いたと思うが、後半は涙で文字が滲んでいた。
本当にどうしたらよいか分からなかった。
しかし、伝えることはしっかり伝えられた。
別に読んでも読まなくても良いと思った。
手紙は書いてポストに入れたらその人の元に届く。
中身は何が書かれているか分からない。
今読みたくなかったら読まなくても良い。
しかし、LINEでは読みたくないものも瞬時に表示される。
既読がつけば、何かしら返答を待つ気持ちに駆られる。
手紙には時間差がある。
その日のうちに読まなくても、いずれその人の元に届く。
自分の分身が便箋に移って届く。
文字には感情が込められるのである。

SNSの明朝体には表現できない感情。
人が書く文字には表情がある。
それはその人が生きてきた中で生まれた個性である。
誰が書いた文字にも感情はある。
綺麗でも下手でも関係ない。
その人が書いた文字の存在が大切なのである。

手紙には不思議な力がある。
言葉で言い表せられない事を伝えられる事ができる。
気持ちを大切に伝える事ができる。
人が書く文字には生命が宿るのではないかとも思ったりする。
その気持ちは残る。
タイムラインの様に忘れ去られることはない。

2018/12/23 言葉を文字に代えて

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