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PCの存在

3ヶ月ぶりにPCを開いてみた。
仕事が変わって趣味がすべてなくなってしまった。
環境の変化はなくならないと思っていたものも簡単になくしてしまう。
トレーニングも週に5回行っていたが、1回になった。
読書もほとんどできなくなった。
noteの更新もほとんどなくなった。
アニメもほとんど見なくなってしまった。
将棋の勉強もしなくなった。
美術館にも行かなくなった。
音楽も聴かなくなった。

今までまともに仕事をしていなかったから、時間は無限にあるのではないかと錯覚していたのだろうか。
まともな仕事をすると時間に極端な制限が生じてしまう。
自分の持てる時間は本当に少ないと感じる。
その中で自分がやりたいことを1つずつこなして行くものが趣味なのかと思う。

3ヶ月ぶりにPCを開いたのは、CDをPCに取り込もうとしたからだ。
12月初めにASIAN KUNG-FU GENERATIONの新譜を購入したのだが、年末の今になるまで一切封も開けずに放置していたのだ。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONは私が一番好きなバンドだ。
大学の頃から、新譜がでたらすぐに聴いて友達と語り合ったりした、私の中ではとても楽しみな一瞬であった。
しかし、その新譜を1ヵ月も放置してしまった。
この記事を書いている中、この3ヶ月で自分の中で何が変化したのか考えている。

PCを開くとiTUNESが開いていた。
前回の取り込み画面が開いていた。
Yahooの画面には「こんなんあったなぁ」という記事が載っていた。
趣味はその物自体で完結するこが多いけれど、よくよく考えているとPCが媒体となっていることが多いように思う。
トレーニング動画将棋の棋譜もYouTubeで勉強したし、アニメもAmazonで見ていた。
ライブと美術館の情報もPCで得ていた。
読書の感想もPCに書いていた。
PCは知らないうちに趣味創造の上で欠かせないものになっているようだった。
iPhoneで代用できるようでできていない。
やはり、PCは趣味を形成する上で欠かせないものなのかもしれない。

12月は地獄のような日々が続いて趣味どころの話ではなかった。
しかし、1月はその反動で多少は時間が取れると思う。
来年は時間があるうちに趣味を生活リズムの中に組み込ませることを目標にしようと考える。
今日は気持ちよくトレーニングしよう。
年末年始は積本を堪能する。
少しずつ将棋の勉強をしよう。
趣味は無理やりやるものではない。
PCをカタカタと触りながら、PCは趣味の媒体であると再確認。
noteの更新も気ままに行おう。

2018/12/31 PCの感触を確かめて



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