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性善説でも性悪説でもなく、性弱説

仕事をしていると、色んなトラブルや問題が発生する事があると思います。

そんな中で、仕事で横着して起こる問題や、妥協したことにより発生する問題など、人の「怠け心」に起因する問題も多いと思います。

そんな「人に対しての問題」について、起こらないようにする為には、性善説や性悪説で考えるのではなく「性弱説」で考える事が大切です。


性善説と性悪説

性善説、性悪説って言葉は良く聞くと思います。人の本質が「善」なのか「悪」なのかを表した言葉です。

【性善説】人の本質は善である
    仕事で考えると、誠実で嘘偽りがなく誰もが真面目に仕事してくれるだろう…

【性悪説】人の本質は悪である
     仕事で考えると、水増しした報告をして、正確な報告をしない。上司が見ていないところではサボる…

上記の「性善説」と「性悪説」の説明は、本来の意味とは違いますが、このように捉えている人が多いのではないかと思います。
▶このnoteでは、上記の意味で「性善説」と「性悪説」を使います。


「性善説」で仕事

仕事をしていると様々な人がいますが、「性善説」で相手を考えて仕事をした場合は、どうなるでしょうか

性善説で相手に接するとは、相手のことを信じ、ミスせず慢心せず仕事を忠実に実施してくれるだろうと相手に期待している状態だと思います。

これは、一件素晴らしいように思いますが、逆に言うと「相手任せ」「無責任」となってしまいます。

これが「性善説」で考える欠点ではないかと思います。

「性悪説」で仕事

では、反対に「性悪説」で相手を考えて仕事をした場合、どうなるでしょうか

性悪説で相手に接するとは、相手のことを疑い、あいつは目を離すとサボるだろうと考え、信頼の置けない相手として仕事をすることになると思います。

こんな状態で仕事をすると、誰も信用する事ができず、孤立してしまう可能性があります。

これが「性悪説」で考える欠点ではないかと思います。

「性善説」「性悪説」ではなく、「性弱説」

人は人なので、時と場合によって、はたまたその時の体調や気分によって「性善説」の時もあれば、「性悪説」の時もあると思います。

必ず、どちらかだけの側面しかない事は無いと思います。

しかし、ほとんどの人に共通して考えられるのが「性弱説」ではないかと思います。

【性弱説】人は本質的に弱いものである
       仕事で考えると、どんなに信頼が置ける相手でも、どんなに真面目な人でも、弱い部分があり、少しの誘惑に負ける時もある

私は、上記のように「性弱説」を理解しています。良く、「あいつは仕事に真面目で信頼できる」とか「あいつはサボり癖があり信用できない」とか言いますが

それは、その人のひとつの側面であり、どんな人でも弱く脆いところがあると思います。

その「人は本質的に弱い」を理解し認める事で、仕事が円滑に進み、仕事の仕組みづくりや設計がうまくいくのです。

人と関わる仕事や、組織で仕事をしている人は「人は本質的に弱い」を念頭に置いて仕事をしましょう!

まとめ

今回は「性善説」や「性悪説 」ではなく、「性弱説」で考える事が大切な理由を説明してきました。

もちろん、「性弱説」で考える範囲には自分も含まれています。どんなにやる気があって、どんなに続けようと考えていてもサボってしまうのが人間です。

そうならないように「性弱説」で考えてサボらないような仕組みづくりをして行くのが大切です。

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