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#038 僕が1,000万円をかけて大学院で学んだこと

こんにちは。やさかも@ホーチミン市です。

はじめに

2017年に修了(卒業とは言わない)した大学院で僕が学んだことを、どどーんとシェアしてみよう。前提として、僕は2014年、32歳でJICA青年海外協力隊の任期を終えて帰国し、翌年2015年に某国立大学で公衆衛生学の修士過程(2年)に進んだ。

気になる費用のこと

日本の国立大学は入学試験料3万円、入学金27万円、授業料は2年間で108万円くらい (a)とする。学生寮はなくアパートで一人暮らしをしたので、生活費は家賃3万円、食費25,000円?、その他2万5千円で、一ヶ月8万円くらい。2年だと192万円となるが、僕の大学院は2年目に開発途上国で長期滞在するので、その分の住居費についてはけっこう補助が出る。研究にかかる費用も、大学の予算で出してくれる。だから、実質は8万円×15ヶ月=120万円、のハズだったんだけれど、3ヶ月延長を食らったために、結局150万円(b)くらいかかったと思う。

(a)+(b)で258万円の自己投資をしたわけである。さらに、もし2年間を普通に働いていたとして、機会損失としての手取り年収が350万円と仮定すると、(a)+(b)+2×(c)=958万円の投資をしたと言える。控えめに見積もっても、1千万円弱である。社会人がシゴトをやめて、2年間勉学に勤しむというのはこういう事なのである。さあ、話を元に戻そう。

大学院で学んだこととは

さて、これだけの巨額投資をして、僕が2年間の大学院で学んだことを一言で表すと・・・、


はっきり言って、何もない。

である。あーーーーっ、ちょっと待って、まだページを閉じないでw。大事なことはこれからお伝えするからっ(唾)!


僕が通った大学院は、その道のトップランナーの教授陣が日々切磋琢磨していて、学生の国籍は様々。おそらく、中南米以外のほとんどの地域から留学生や研究者が来ているような環境だった。もちろん、大学院生の勉学は甘いものではない。授業も課題も多いし、テストもけっこう厳しい(これらは全部英語で課されるしね。。。)。ちなみに僕は、たったひとつの科目試験を落としたことで、修了(卒業)が3ヶ月延びた(余分に金がかかった。泣)。アルバイトをする余裕など、ない。さらに幸か不幸か、学校には365日24時間出入りすることが可能だw。

つらいことも多い反面、面白い講義、課題、ディスカッションなど面白いコンテンツはたくさんあるし、何よりアフリカで収集したデータを元に修士論文を書かせてもらえたことは、僕にとってエキサイティングだった。

シゴトに活かせるのか

2年前に修了して、いま海外でキャリアを積んでいる僕が、改めて考えてみた。大学院で僕は何を学び、いま何を活かせているのだろう?

正直なところ、面白かった講義の内容も含めて、僕の頭の中に残っている知識はほとんどゼロに近い。何故なら、直接いまやっているシゴトの業務に関係ないことばかりだからだ。やっぱり、何もない。

では、僕が大学院に進学したことは無駄だったのか?


答えはノーである。例えば、こんなことが身についた。

PCスキル(Microsoft office、統計ソフト、地理情報システムなど)

英語力:会話力よりも、書く力(元々が酷すぎた)

忍耐・根性・やりきる力:論文執筆はなかなか大変なプロセス。

世界への理解:世の中ってこんな風に回ってるのか、みたいな気づき。

・アフリカでの生活経験: 衣服の洗濯はもちろん手洗い。

上記のうち、特に最初の3つは今のシゴトに生きている、と折に触れて感じる。僕は元々病院の医療従事者だったので、高いPCスキルがあまり必要なかった人間だ。いま、日々粛々と事務作業がこなせているのはまさしく大学院の経験があったからだ。英語はメールや各種文書をつくる時に重宝する。そして、忍耐・根性は海外生活・海外プロジェクトに欠かせない要素であるw。

費用対効果を考えよう

だが、よく考えてみよう。これらの素養を身につけるために、1,000万円をかけねばならなかったのか。きっと、答えはノーである。いくらでも他に方法はあるだろう。これは書くまでもない。

だけれど、僕は進学に自己投資をしたことは1mmも後悔していない。むしろ、安い投資だったと考えている。なぜなら、怠け者で保守的な僕は、これくらい生活環境を変えないと「やらない」男だからだ。つまりはライ◯ップへの入会みたいなものである。金をかけた結果、人生が好転するのならば、それは生きた金だと思っている。幸い、僕の人生は今もどんどん好転している(思い込みか!?)。

ルックスに自信のない年収300万円の独身女性が、1,000万円の美容整形によって、美しくなる。男性と話す恐怖がなくなり、自信がつき、結婚して幸せになる例は世の中にはたくさんある。1,000万円を仮にお金で回収することができなくても、そのヒトが胸を張って人生を送れるならば、これほど素晴らしいお金の使い方はないと思うのだ。これはもう、個人の哲学の問題だ。

その進学、本当に必要ですか?

最後に、社会人で大学院に進学を検討しているヒトへ向けて、僕の考えをシェアしたい。

幸運にも給付型の奨学金を獲得できたヒトなら話は別だが、やはり思い切った投資であることに変わりはない。ちなみに、日本の大学院で修士号や博士号をとったところで、たいした意味はない。履歴書には書けるが、その学位が今後も世の中のニーズとして存在していくかどうかは別問題だ。昭和時代にもてはやされたMBA(経営学修士)も、今となっては取得者が増えすぎたことで輝きを失っているのはいい例だろう。希少価値がないと、資格や学位は意味をなさないのだ。

そもそも、修士号とか博士号というのは、研究者や会社の研究部門に配属するのでなければ、転職に用をなさない。採用の最低要件を「修士号を取得見込み・取得済み」と設定している企業もあるが、ほんの一部である。

もしここまで読んで、それでも大学院への進学を考えているのなら、せめて下記のことを検討してからの方がいいと思う。

海外の大学院を検討せよ。これだけで、外国語力と希少価値が担保される。ちなみに僕はタイの医学系大学院に入ることを真剣に考えていた。修士過程なら、日本と異なり1年コースであることが多いので、時間とお金の節約にもなる。

シゴトと両立できる大学院を選べ。やはりお金は大事である。家族をもつヒトは特にである。肉体的には辛いかもしれないが、精神的安定にはなる。そのかわり、就学期間は2年では終わらないかもしれない。通信システムを取り入れている大学院もある。

学位の名前(例えば、経営学修士、公衆衛生学修士、医学博士)がメジャーなものか、英語名が海外の大学院でも一般的な名称かを確認せよ。これは、日本がオリジナルの学位名を作りすぎているためだ。情報テクノロジーマネジメント学、などとやたら名前が長いものや、名称にカタカナが織り交ぜられている学位は要注意だ。履歴書に書いてもまったく意味がない可能性がある。

・数学、統計を使う研究をする覚悟があるか。大学院って、卒業要件は基本的に論文を提出し、論文審査会で承認されることである。講義を聞き流して、適当にレポートを書くだけでは修了できない。

研究したいテーマがぼんやりでも決まっているか:僕は入学してから決めた。研究はなかなかきつい作業だ。もし大好きなら心配ない。

修了後のキャリアプランがある程度描けているか。意外にも、これがないまま大学院生活に突入するヒトが多い。どんな会社に入りたいか、ではなくて人生においてどんなことをライフワークとしたいのというビジョンが必要だ。もっと言うと、自分にとってどんな人生が幸せなのかはよく突き詰めて考え抜いたほうがいい。特に独身者が30代以降に大学院に入る場合、結婚(女性なら出産)のことを視野に入れつつも転職を考えるケースもあるだろう。もちろん、家族を持たずにシゴトに生きる人生だって、素敵だと思う。大事なのは、自分自信の納得と覚悟である。

最もマズいのは、大学院の講義を受けて何か知識がつく、と期待して進学を考えている人たちだ。授業の内容など、修了した数年後にはほぼ思い出せない。要は、「大学院というツールで能動的に何をしたいかが重要」、ということだ。

以上、進学を視野に入れる方の参考になれば、幸いである。


38日目 おわり。