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感じる力、共感する力は、とても大事。でも、共感も強すぎるとツラくなる。

noteの良さやnoteを続けられる要因の一つに、共感というキーワードがあると思う。自分の記事に共感してもらいスキやコメントが付くのは、とても嬉しいものだ。また自分が共感してスキしたり、コメントを残したりすことで新しいコミュニケーションが生まれるのも同じように嬉しい。

私もフォロワーの方の記事を読んで共感することがとても多い。
またフォローするきっかけの記事を読むことで、書いてる人のことがありありと頭にイメージできることもある。

そんな体験を重ねるうちに、noteの継続を止めたくなった、という記事に出くわしたことがある。その人の記事を読んで思ったことが、共感しすぎでこの人はツラくなったんだな!ということだった。

確かにnoteは共感し合う場といってもいいほど、本音で語り合うような記事が多いのだ。FacebookやInstagramなどのように、自分を盛って見せる必要もないのがnoteの良さだし、本音で吐き出せるのもnoteが続けられるポイントでもあるだろう。そしてこれからもnote参入が増えるのは間違いない。

noteに参入してくる人がいる一方で、noteを止めてしまう人もいる。
始めてはみたものの、もう何ヶ月も1年以上も更新されていないアカウントも存在する。そんなアカウントを見つけると、投稿が止まってしまった原因は何だろうか?と人ごとながら心配になることもある。

勢い込んで作り込んだに違いないアカウント名やプロフィールを見るにつけ挫折の要因を想像してしまうのだ。いや、まだ挫折と決まったわけではないのだが、勝手にそう思っているだけで。

まだ私も連続投稿61日に入ったばかりであるし、これからまだまだ投稿を続けるつもりでいるのだが、継続するにあたっての留意点がタイトルで書いた感じる力、共感する力が強すぎると、noteを続けていくのがツラくなってくるということなのだ。

本音で吐き出している人にとっては、noteって愚痴や不満や怒りの感情をぶちまける場であり、自分の苦悩を詰め込んだ収納BOXであり、その人のパンドラの箱かも知れないのである。

その苦悩の収納BOXを自発的行為とはいえ、フォロワーはのぞき込むことになるのだ。書き手が自分の中から追い出してしまったはずのパンドラの箱を開けてしまうことになりかねない。

感じる力、共感する力、が強すぎると、迂闊に開けてしまったパンドラの箱から飛び出した、他人の苦悩や嘆きや憤懣などが自分に襲いかかり心を蝕むことになるやもしれぬのだ。

感じる力は成長のエネルギーになる、そう先日亡くなったノムさんこと、野村克也さんが晩年に語っていたが、感受性が強いことは活かし方次第で他者への優しさを育むし、成長のためのバネにもなる。

だから感じる力や共感する力は、とても大切な宝物でもある。ただ一歩間違うと共感力が強すぎることは、両刃の剣になりかねないので要注意だ。

そんなことをnoteザッピングをしながら考えた次第。

ということで 今日のテーマは 
感じる力・共感力は、とても大事。だけど共感力が強すぎると、自分が代わりにツラい思いを背負うことになってしまうよ、という話。

では!
今日の心も のほほんびより。

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