直木賞作家の浅田次郎さんが年中座って小説書いていたら部屋中の畳がへこんだと書いておられたけど、本当だった!
あなたはご存じだろうか、あの直木賞作家としてヒット作を連発されている浅田次郎さんが、作家連中の間だけでなく世間一般人を仲間に加えたとしても、並ぶ者がそうそういないくらいのドデカい頭でっかちなのを・・。
たぶんご存じない人が多いと思うけど、この頭ドデッカチっていう特長は当の浅田次郎センセーが、ちょくちょくネタにして原稿料を稼いでおられるから、浅田次郎ファンを自称してこれを知らぬはモグリと言えるのよ、ね。
で、この頭ドデッカチの話をするつもりで書き始めたんじゃないけど、直木賞作家浅田次郎先生ときたら、頭ドデッカチと答えが出てくるくらい脳内では密接な繋がりを持っているわけなのよね。
よく言うアレですよ、あれ。
ツーといえばカーと答えてしまう、ツーカーの仲っていうのと同じような反応でして、浅田次郎といえば、当然頭ドデッカチ、と答えてしまうわけですね、困ったもんだけど。
なので、今回もついつい宇津井健で、書いてしまったのですよ。(/_・)/
まぁ、どうでもよさそうな前振りはこのへんにして、と。
タイトルに書いたように、浅田次郎先生は直木賞を受賞して売れっ子作家になる前に、シコシコと自分の部屋の和室を仕事部屋にして、旺盛なる創作活動に励んでおられたそうなんですよ。
その結果、じっと座っているだけなのに同じ所に座り続けると、畳がその箇所だけヘタってしまい、ペコッとへこんでくるというのですよね。
なもんだから、へたった場所から少し位置をずらしてまた創作活動に励んでいると、そこもまた同じようにへたり込んでくるわけですね。(´д`;)
こりゃいかん、ということでまた座る位置を少しずらして仕事・・・といっても売れていないから仕事にもなってないけど、作家としての創作活動にいそしむわけですよ。
こんなことを繰り返して座る位置をちょくちょく変えては、まだへこみに侵されていない聖地を求めて移動し続けるという、あたかも彷徨えるユダヤの民のような漂泊生活を(和室の中だけなんだけどね)余儀なくされたのよ。
まぁ、そんなことを売れっ子作家になるまでの苦労話として、浅田次郎先生は原稿料と引き換えに、ちょくちょく書いておられたんだけど、ね。^^
ほんまかいな!
そんなこと、ありゃぁ~せんじゃろ!(´д`;)
なんて、読んだ当時はやや疑いの目で読んでいたんですよ、正直に告白すると。
と、と、ところがですよ!ジョージさん!
ウソや作り話じゃ、なかったんですよ浅田次郎先生の体験談は、れっきとした事実に基づいた実話(たぶん)だったんだと、後日になってから思い知ったんですよねぇ・・・。
それも私が鹿児島の実家に帰郷してから数年たって、私の家の和室の畳が同じように同じ場所だけが傷んでいることに気がついて、あの当時の浅田次郎先生の体験談と同じじゃないか、ってやっと気付いたんですね。
和室には床の間の横に、ご先祖様や両親の過去帳を納めたお仏壇が鎮座しているわけですが、私は朝晩には必ず双方の両親やご先祖様に対して、一日の平穏無事と健康を願い、感謝することを習慣にしているのですね。(´人`)
当然ですが、仏壇の前の座る場所は同じになってしまうわけで、その箇所だけが傷んでいるんですよ、いつも座るもんだから。(>_<)
それからは、大きめの座布団をいつも仏壇前の定位置においておくようにしたんだけど、立ち上がるときに足の爪先がくる箇所だけが、またまた傷んでいるじゃありませんか!(´д`;)
恐るべし、指先のチカラ、なんという小さな積み重ねのなせる技なんだ、なんてちょいと大げさだけど、驚いたのはホントなのよね。(^_^;)
ほら小さな水滴でも岩石に穴を穿つっていうじゃないですか、アレですよアレ、繰り返すことの威力。
ちなみに単位の億の上の位が兆、その上が京(けい)だっていうのはご存じですよね。(^_^)b
そして京の上が垓(がい)、𥝱(じょ)、穰(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)と続きます。
この単位というのは漢字文化圏の数の単位なんだけど、どのくらいの数字なのかっていうと、最大単位の無量大数は現行の万進法で言うなら10の68乗という途方もない数字になるのよね。(^_^;) 10の88乗という説もあるけど。
一般に使われている数字表記では万進法じゃなく、千進法での3桁区切りを使っていて、英語でも、million,billion,trillionなどの1,000倍単位の体系が用いられているから、私たち日本人にとってはちょいとややこしいよね。
英語が得意じゃないと、いちいち万進法を千進法に変換するのが凄くめんどうだと思うのは、私だけですかね?
って、横道に逸れまくってるけど、ついでに加えると、インドでの時間の単位で劫(こう)というのがあるんだけど、この単位の1劫はもの凄いよ。
どう凄いかって言うとね。
天女が100年に一度天界から降りてきて、7㎞立方の岩石を羽衣で軽~くひとこすりするわけですよ。そのひとこすりを100年ごとに繰り返して7㎞立方の岩石がすり減って無くなってもまだ余っている時間、これが1劫の単位。
凄いでしょ!そもそも羽衣で軽~くひとこすりして摩滅するもんかね、なんて考えるのが一般人です。羽衣で軽~くひとこすりして昇天しそうな人は知ってるけど・・・マスター・ハ・・・・・・誰かとは言わないでおくけど。(´д`;)
で、ですね、現実問題としてはそんな事やってる間に、塵が積もるじゃろ!なんてツッコみたくなるわけだけど、そこは我慢の子でもうしばらく、ね。
このとてつもない長さの時間である1劫を、億倍した時間がなんとお馴染みの億劫という単位で、おっくうと読んでいるアレのことですよ。(^_^)b
億劫がるって、ものすごく壮大なネガティブ思考だったのよねぇ~うん。
また未来永遠の長さという意味で使われるのが未来永劫で、永劫という劫の永さを強調した表現になるんですよね。
ご存じだと思うけど、ついでに言うと大判タオルが乱舞するロックライブの1公演の時間の長さを何と呼ぶか・・・ご存じですか?
これって当然だけど、1永吉って言うのよね。(^_^)v
いち、えいきち・・・わかるよね?(´д`)
えっと、マジメな話に戻ってと。
同じように短い方の単位もあって、日常でも良く目にしたり聴いたりするのが刹那(せつな)という単位ですね。
これがどのくらい短いのかというと、両手を軽くペチッと叩いたときの音の長さの数十分の1くらいなんだってよ、ザッとみて0.01秒くらいらしい。
この刹那を120倍して1怛刹那(いち・たせつな)となって約1秒くらい、1怛刹那を60倍して1臘縛(いち・ろうばく)となり約60秒の1分間となるわけですよ。
こうやってみると刹那の快楽ってヤツは、羽衣の軽~くひとこすりにも遙かに及ばないくらい短いって事なのか・・・?? なんのこっちゃ!(´д`;)
まぁ、こんなことに関心があるようなら自分で調べてみてね。(^_^)b
とりあえず私たちの人生は長くなったと言っても、たかだか100年ですよ。
天女が軽~く、ひとこすりしに降りてくるのに1回だけ出会わすかどうかっていう短い時間で、生を受けて老いぼれて棺桶に足をツッコむわけよね。
だからといって、わざわざ短い寿命を更に縮めてしまう必要も無いと思うので、10臘縛か20臘縛の10分~20分くらいの時間を健康寿命をマモルために使ってみたらどうだろう・・・うん、うまくつながったわぁ・・・。(´д`)
ってことで、横道逸れっぱなしの感があるけど、今回は
「直木賞作家の浅田次郎さんが年中座って小説書いていたら部屋中の畳がへこんだと書いておられたけど、本当だった!」っていう畳のへこみ話。
では!
ドデッカチでも のほほんと。
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