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バルセロナ五輪の金メダリスト古賀稔彦さんが亡くなった!53歳の若さ、無念!

今朝、何気なくテレビを眺めていたら古賀稔彦さんが亡くなったというテロップが流れて一瞬我が目を疑ってしまった!(´д`;)

古賀稔彦さんのご冥福をお祈りいたします。<(_ _)>

古賀サンはバルセロナオリンピックで、直前の稽古中に左膝を怪我してしまったもののその状態で決勝にまで進み、見事に金メダルを勝ち取ったことで、衛星中継を見ていた私たちに大きな感動を与えてくれたんですよね。

怪我をする乱取り相手となった吉田秀彦さんも、その前に勝ち取っていた自分の金メダル獲得より、先輩である古賀サンの金メダルを喜んでいました。

古賀サンと言えば、吉田秀彦さんとの同時金メダルと、その裏にあった左膝の怪我やケガで稽古できずに減量にも苦しみながら、兄弟弟子として2人そろって金メダルを獲得したエピソードが有名ですよね。

吉田秀彦さんはプロの格闘家を経て、現在は柔道家として自分の道場を経営しながら、パーク24の実業団チームの監督も兼務しておられますが、古賀サンも柔道家として選手育成に大きく貢献してくださいました。

平成の三四郎と異名をとった古賀サンの柔道は、得意の一本背負いを武器にした切れの良いきれいな柔道でしたよね。(^^ゞ

一本背負いや背負い投げといえば、古賀稔彦っていわれるくらいイメージが定着していました。

選手としての実績もですが、指導者としても抜きん出ていた気がします。

TVの柔道関係の特番や選手権大会などの解説を聴いていても、ものすごく分かりやすく実況の解説ができる人でしたので、聴いていてもその解説の言わんとする要点がよくつかめて、非常に分かりやすかったのを覚えています。

選手に微妙な技のかけ方や上達の指導をする際にも、そのニュアンスをしっかり伝えることができるような、優れた言語変換能力をお持ちだったので日本柔道界の優れた指導者としても、その損失が惜しまれてなりませんよね。

年齢的にも53歳という、まだまだこれからという若さでこの世を去ることになったことは、ご本人も無念でならなかったこと推察いたします。

いまはただ、ご冥福をお祈りするしかありませんが、ご遺族のみなさんの悲しみを思うと胸が痛みますよね。(/_;)

古賀稔彦さん、どうか安らかにお眠りください。

3人のお子さんたちも同じ柔道界に身を置いて、父親の背中を追いかけながらこれからの日本柔道界を背負っていくと思います。

日本だけでなく世界の柔道界が、あなたのことを忘れないでしょうし、日本国民もあなたのことを、ずっと記憶に刻んで忘れないと思います。

オリンピックや世界選手権などの大会が報道されるたびに、あなたのことをあなたの勇姿を蘇らせることだろうと思います。


こうやって、自分よりも若い方々が鬼籍に入られると、今を大切に生きるということを、あらためて考える機会になりますよね。

自分らしく、自分の好きなように、悔いの無い人生に仕上げたい、そう決意させられた今朝の悲報でした。

合掌


好きな短歌1首(古今集:詠み人知らず)
春ごとに 花のさかりはありなめど あひ見むことは いのちなりけり


ってことで、今回は
バルセロナ五輪の金メダリスト古賀稔彦さんが亡くなった!53歳の若さ、無念!」という悲報に接しての思いでした。


では!

悲しくも  涙こらえて  のほほんと


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