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【武学談義】織田信長が好んだ幸若舞は身体動作に武術の極意との共通点を見出したから?

織田信長といえば「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」という桶狭間出陣前に舞ったという、幸若舞(こうわかまい)の敦盛(あつもり)を謡い舞うシーンが必ず出てくるのがお約束となっているので、時代劇に疎い人は覚えておくといいですね。

信長公記(しんちょうこうき)によると、桶狭間出撃前に謡い舞ったのは「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか・・・・・・」と、ここまで謡い舞ってから湯漬けを流し込みつつ具足を付けさせ、法螺貝を吹かせて出撃を促したという様子が書かれているのですね。

私たち現代に生きるものにとっては舞といえば、女性が踊るものという偏見がありますよね?

もちろん男性の舞踊家もおられるし、舞踊に詳しい方たちはそんな偏見など持ち合わせておられないだろうけど、一般の人のイメージだと舞うことは優雅にしなやかに、という舞の所作・動作から女性を思い浮かべると思うのですよ。

かく言う私も昔はそうだったので。

ところがどっこい、舞を正しい所作で踊るとなるとけっこう足腰が座った状態で踊らないと頭が上下動してしまい、ひょこたんひょこたんになっちゃうのですよ。

まったく、ひょこたんひょこたん踊りじゃ様にならないのですよね。

そんなこんなで、踊りを鑑賞するときも重心軸や身体操作としての所作の美を武術に活かせるのではと、盗み取る思いで鑑賞するわけですね。

そんなわけで冒頭に書いたように戦国武将であった織田信長や、その時代から江戸時代にかけて活躍していた多くの武将たちが好んだ舞は、武士としての身体動作と共通するものがあったからこそ広まり伝承されてきたのじゃないかって考えたんですよ。

踊りと武術の身体操作に共通点がある証拠に、武術をやっている人に踊らせると、細かい小手先の振りはともかく体軸の通し方や足運び(運足)の様子を観察してみると、ひょこひょこせずにどっしりとした安定感のある踊りを披露してくれますからね。

幸若舞の敦盛とは?

ちなみにこの敦盛の「人間五十年」は「じんかんごじゅうねん」と読むのが本来で「にんげん・・・」のほうは、読めないことはないけど、信長の謡った頃は「じんかんごじゅうねん」だったようですね。

その後の読みは下天=げてん、夢幻=ゆめまぼろし、一度生=ひとたびしょう、と続きます。

この幸若舞(曲舞:くせまいとも)での平敦盛(たいらのあつもり)の悲哀を謡いに込めた意味は「人間界の50年は、下天という天上界の一日にあたり夢幻のように、はかない時間なのだ。この世に生まれたもので、滅ばない存在などないのだ」という平家物語の諸行無常の響きあり、に通じるもの。

信長は(呼び捨てゴメンね)この敦盛の冒頭を謡い舞って、出撃したことになるけど敦盛に我が身を重ねたのか、それとも悔いのない覚悟を込めたものなのかは今となっては分らない。

復元された幸若舞の敦盛に抱く違和感とは?

現在は幸若舞自体が昔のままで伝承されているわけではないので、復元された幸若舞を見ると、舞の所作に違和感を覚えてしまうのですよ。

そりゃそうだろうね、今に残っている幸若舞といえば福岡県みやま市に伝承されている大江幸若舞、公式には大頭流幸若舞しか無くって、敦盛にいたっては江戸時代に廃れてしまってから、平成20年になって復元されるまでは伝承が途絶えていたんだもんね。

だから現在演じられている幸若舞は、信長の舞ったものとは似て非なるものと受け止めたほうがいいと思うのよね?

なぜそう思うのか?

それは、甲冑を着用して腰に重い刀の二本差しで歩いていた武将、武士たちの身体操作の美と現代の日本人が歩き舞う時の身体操作に、大きな隔たりがあるからですよ。

能の舞台ではまだ下半身の遣い方などに、身体操作の美を感じることができるけど伝承で残されている舞踊としては、運足という足の運び順や手足の振り付けなどが、現代風になってしまってるんですよ^^;

だからどうしても違和感が出てしまうわけですね。
もちろん伝承するとか伝統芸を継承するということに意義があることを否定しているのじゃないのね?

ほら、たとえば軍隊の行進ってあるじゃないですか?
あれって見せるためのものなわけで、いざ戦闘が始まっているのにあんな風に足上げて、つっぱらかって行進なんかしてごらんよ、たちまち全滅だわ。

剣術と剣道にみる似て非なるものとは?

極端すぎるたとえかもしれんけど、そんなことよね。
剣道の昇段審査で演じる木刀での形と、竹刀で闘う試合のときの動きが別物っていうのと一緒だと思うのよ。

剣道の形は二人一組で打太刀と仕太刀に分かれて演じるのだけど、太刀筋や相手との間合いもだけど所作も大事な評価ポイントになるのですよね。

そして竹刀と違い木刀で対峙するために、相手との間合いも竹刀とは異なるわけですよ。

師匠にあたる打太刀の動きに合わせて仕太刀が技を出し、それを打太刀が受け返すと言う流れで、7本ある形のうち初段審査は3本目まで、二段審査は5本目まで、三段審査になると7本目までを演じるわけね。

四段審査になると、太刀7本に加えて小太刀3本の形を覚える必要があるのだけど、これらの形は真剣を想定して組み立てられたものなので、現在の竹刀で稽古や試合を行う竹刀打ちの剣道稽古とは、ちと異なっているのだ。

まぁ、極端なことを言ってしまうと剣道の昇段審査で演じる形は、昇段審査のためにある、と言っても良いくらい昇段審査に受かるために稽古しているのじゃないかな?

それに今残されている全日本剣道連盟の形が唯一のものではないし、大正元年(1912年)に初めて剣道と名付けられてから、日本刀の技と心を後世に残し、竹刀打ち剣道の手の内の乱れや刃筋を無視した打突をただすために、竹刀打ちとは異なる形を昇段審査に加えることになったわけですね。

各流派の形の中で現代の竹刀打ち剣道のルーツと言えば、直心影流の長沼四郎左衛門国郷が竹刀で打突し合う打ち込み稽古を始めたのが最初になるという記録が残っている。

その後に一刀流の中西忠三子武が、最初に鉄面と竹具足という防具を着けて稽古を始めると、これが各流派に広がっていったらしいですね。

幕末の頃になると、千葉周作の北辰一刀流・玄武館や桃井春蔵の鏡新明智流・士学館、斎藤新太郎の神道無念流・練兵館が門弟の数や技量において抜きん出た流派になっていて、特に千葉周作が体系化した技が今の剣道に受け継がれているのですよ。

そういった点では剣術というのは竹刀打ちの剣道が全盛の現代には、比較的伝承された技は残っていないといえるよね。ごく一部の道場を除いてね。

居合い術(抜刀術)として伝承されている流派も似たようなもので、遡れば同じ系統でも現在まで継承されてきた技を見比べると、まったく別物ってことがままあるもんね。

外見だけを真似ても復元率は低いのでは?

現代と違って動画がなかった時代の武術や舞の動きを、逐一再現するなんてのはムリ、できやしないのよね、たぶん。

だから外見の見た目が、それらしく見えれば復元成功となるわけですね。
誰も文句が言えないし、指摘しようにも昔に戻ったことがないからね?

ただね、枝葉末節の振り付けなんかはそれでいいとも思うけど、根幹となる身体軸の挙措動作には復元を謳う以上、嘘をついてごまかして欲しくないと願うわけですよね。

信長を始めとして昔の戦国武将や江戸時代の初期頃には、武士としての嗜みがあったわけで、その武士の嗜みを身につけるために舞や茶の湯だけでなく漢籍などの書画や、刀などの武具にまで広範囲にわたって識見を高め精神修養を心がける必要があったのよ。

その知的水準の高さや覚悟・胆力といった精神力の強さに、武人としての戦闘能力を備えていたのが戦国武将であり、その後の武士たちなんだよね。

そんな彼らが、舞を鑑賞したり自分で舞ったりするときに、適当におちゃらけて舞うなんてことはほぼ考えられないのだ。

その舞姿で人体の挙措動作の美しさを表現していたのが、日本舞踊の個人舞踊家であり、どこの流派にも属さず生涯個人舞踊家を貫いた「武原はん」女史の踊りではないだろうか?

残念ながら1998年2月5日に95歳で亡くなっておられるけど、この武原はん女史の「雪」という踊りは武道・武術を嗜んでいる御仁には必見の踊りとなるので Youtube で動画検索をして鑑賞することをおすすめします。

まぁいずれにしろ、生活様式も身体的な発達や基礎能力も異なる時代に、本来のクオリティを備えた状態で復元するとなれば、身体づくりから始めなきゃならんということだよね?

マイケル・ジョーダンのジャンプシュートを、バスケの素人が真似ることを考えればわかることでしょ?

似たようなジャンプができるかって問われても、ムリムリ、絶対ムリって言うよね? 真似るならせめてNBAでプレイできそうな人にやらせないと、ムリでしょってことよ。

ある程度の動きの質、身体動作のクオリティが高くなければ再現は難しいと思うのよね?

要するに、この記事で書いたことにも通じるところがあるんだけど、ね?

まぁ、そんなことをつらつらと考えたのです。
何気にYouTubeで見つけた動画に、復元されたという幸若舞の「敦盛」がアップされていたもんだから、つい観ちゃったんですよ。

ボヤキに感じたらごめんなさいよ。(´д`)

ってことで 今回のテーマは
【武学談義】織田信長が好んだ幸若舞は身体動作に武術の極意との共通点を見出したから?」という幸若舞からの身体操作の美の話。

これまで「武学談義」としていくつか投稿したけど、談義より言いっぱなしのな内容がほとんどなのよね。

なので「武学放談」のほうがぴったりくるんかいな、、なんて迷っておりますが・・・・・・どんなもんですか? 

このまま武学談義でかまわんかな・・・・・・。

コメント欄でご意見がもらえればうれしいです。<(_ _)>


では!

いざ ゆかん のほほんと。

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