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コロナ渦不染日記 #6

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四月二十五日(土)

 ○横浜に立ち寄ったので、予備校時代から二十年近くお世話になっている『横濱珈琲店』に足を向けたが、この災禍の影響で、今日と明日は休みということだった。ということは逆に、この災禍であっても営業時間を短縮しつつ、休業はしていないということだ。
『横濱珈琲店』は、豪放磊落な旦那さんとクールな奥さん、そしていつも親切丁寧な主任さんの接客が素敵なお店である。今後の営業がどうなるかは不明だが、いつかまたあのおいしいコーヒーと、コーンビーフのホットサンドを食べさせていただきけるようにしていただきたいものである。

横浜珈琲店


 ○在宅勤務になってからヒゲを伸ばしている。ぼくはうさぎなので、もとよりヒゲは生えているのだが、それを長く伸ばして小粋に刈りこんでいるのである。イナバさんからは、「トニー・スタークみたいで、あおり顔がむかつく」と言われた。

 ○夜。話題の「Zoom飲み」をする。Zoomでは、参加者のそれと同時に、自分の顔が画面に映るのであるが、これまでこんなにもまじまじと自分の顔を見ながら酒を呑んだことはなかった。不思議な気分。

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四月二十六日(日)

 ○晴れ。日差し暖かく、風甘し。

 ○一日家で過ごす。不要不急、無為の一日なり。だがこれが格別の休日といえよう。

 ○夜、『松本清張傑作短編コレクション』上巻を読み終わる。

「或る『小倉日記』伝」は文句なしの大傑作。「一年半待て」「地方紙を買う女」「理外の理」などの推理短編も素晴らしい。清張の短編は、いまでいうならノワールであったと理解した。

[前略]ノワールの本質とは何なのか。これに関しては、現在の日本の評論家の中で、ノワールに対する愛情と造詣の深さでは一、二を争う二人、吉野仁・霜月蒼の両氏が、ずばり指摘しているので、以下に引用させて貰う。
 まず、吉野氏の『ポップ1280』の解説から。氏はトンプスンの作品を、
「凶悪な犯罪や烈しい暴力を正面から描き、その背後にある、ねじれた心理と愛憎のぶつかる人間関係の虚実、さらにその源泉となる孤独な魂や暗い情熱を通して、人間存在の深部の迫る物語」と評した。
 次に、霜月氏の、「ノワール作家ガイド」(ユリイカ12月臨時増刊「ジェイムズ・エルロイ ノワールの世界」所収)の中の、トマス・H・クックの項目から。氏は、一般にはノワールとして認知されていないクックの作品に対して、
「ノワールのもっとも本質的な主題を、考え得る最良の手法で描いたもっとも暗いノワール」と評した。そして、その根拠として、次のように述べている。
「人間の魂の暗部を描く――これはノワールの芯の芯である」と。
 そうなのだ。孤独な魂を持つ男女が、暗い情念に突き動かされて犯してしまった犯罪を通して、人間存在の深部に迫る、これこそが「ノワールの核」なのだ。この本質を押さえている限り、その小説は「ノワール」足りうるのだ。主人公の行動が、熱く烈しい炎となるか、冷たく蒼い焔となるかは、大した問題ではない。裏を返せば、「暴力」や「狂気」をいかに備えていようとも、この核を持たない小説は、決してノワール足り得ないということだ[後略]

——川出正樹「夜よりほかに聴くものもなし、されど、夜は魂ほどに暗くない」(『棺の中の悦楽 山田風太郎ミステリー傑作選④〈悽愴編〉』所収)より。
太字強調は引用者)

 上記の引用は、山田風太郎の作品に向けられた解説であるが、もちろん他の作家の他の作品にも当てはまる。あらゆる倨傲を脱ぎ捨て、「自分は自分でしかない」ということを理解してしまうに至る過程をこそノワールというなら、デビュー作「或る『小倉日記』伝」からして、清張はノワールの作家であったといえよう。
 しかし、短編小説に比して、抄録されたノンフィクションのほうは精細を欠く。抄録だからか。

 ○いよいよ、来週中には四月が終わり、週末にはゴールデンウィークが始まる。ゴールデンウィークが終われば、緊急事態宣言発出から一ヶ月が経ち、最初に指定された緊急事態の一区切りとなる。
 だが、緊急事態宣言解除とはなるまい。そうなれば御の字であるが、実際はよくて一ヶ月、わるくすればそれ以上の延長となるだろう。経済活動の自粛も延長になるに違いない。小売店や中小企業は、業種によってはこれまで以上に厳しい事態となることは確実である。政府の援助は言うに及ばず、草の根的な横のつながりによる支援も不可欠となろう。ぼくとしては、そうした援助を惜しまぬつもりである。だが、それも一個人の手の届く範囲、力の及ぶ範囲でしかない。
 世界は変わる。好むと好まざるとに拘わらず、諸行は無常である。一個人として何ができるか。一個人として何をすべきか、これまで以上に目を開き、風を読み、先を見据えて考えてゆかねばなるまい。……などといいながら、心はすでに決まっている。自分であること。これを抜きにして、できることもすべきことも決められるものではない。


→「#7 月やあらぬ 春や昔の春ならぬ」



参考・引用文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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