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コロナ渦不染日記 #5

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四月二十日(月)

 ○寝覚めの悪い夢を見る。不安の夢より後悔の夢が多いのは、それだけ長く生きた証拠といえるか。

 ○朝から雨。そのせいか、昼を過ぎても窓の外はまったくひとけがない。時折車が通る以外は静かなもので、雨が降ったていどで出歩かなくなるならば、かえって普段はどれだけ不要不急の外出をしていたかがうかがえようというものだ。
 不要不急の外出がいけないというのではない。むしろ、そうしたことにこそ、人類の文化文明というものは現れるのであるから、こうなるとかえって、不要不急の外出ができることこそ人類が営々と築きあげてきた文明の産物であり豊かさである、と実感するほどだ。

 ○在宅仕事のあいまに、玄関の電球をセンサーつきに替えたり、使えなくなったテレビを回収してもらう算段をとりつけたりする。仕事と生活の物理的な境目がなくなってくると、心理的な境目も薄くなってくる。仕事しているのだか生活しているのだか、サボっているのだか必要なことをしているのだか判然としない。
 ということは、これまでが仕事と生活を分けすぎていたのだとも考えられる。このふたつは本来、自分という肉体を通じてつながっていたのである。生きるために働き、働くために生きる。これがもっとも根源的なとらえかたであったのだ。もちろん、仕事は変えられても生きる肉体や精神や「いのち」を変えることができないので、どちらが大切といえば生活のほうであるが、それとても仕事をし、社会的に認められ、その物理的なかたちであるところの「金」を得なければ立ちゆかないのであるから、ふたつは両輪といえよう。

 ○テレビのニュース番組で、アナウンサーが、
「いま、外出を自粛しているあなたは、外出をしている人たちを腹立たしく思うかもしれませんが、あなたのような人がいてくれるから、防がれていることもあります。ありがとうございます」
 というようなことを言っていたが、そんなことで溜飲がさがるのであればめでたいことである。自粛している人々とて、褒められたくてやっているわけでもあるまい。むしろ、本心では外出したくてたまらないのを、なんとかこらえているのではないか。そういう気持ちを無視されていると感じたらば、もちろんヤケになることもあろうが、さりとて褒められれば胸のすく思いがするというほど単純なものでもあるまい。

 ○山田風太郎『戦中派不戦日記』には「ヤミ屋」がたびたび出てくる。戦中戦後をつうじて、ヤミ屋は生活に欠かせないインフラであった。現在の輸送配送業と比べて、その価値は勝るとも劣るまい。ウーバーイーツの自転車を見かけるがごとく、戦中戦後にはヤミ屋を見かけたことだろう。
 このまま事態が推移すれば、現代にもヤミ屋は現れるだろうか。あるいは、物理的なかたちをとらず、フリマアプリなどで、すでにヤミ屋は現れているのだろうか。誰もが苦々しい思いでヤミマスクを買う日が来るだろうか。
 かつて「闇市」に興味を持って、関連書籍を買いあさったことがある。うち何冊かはまだ未読なので、この機会に読んでみようか。


 ○島崎譲『覇王伝説 驍[たける]』を読む。

 理想を実現していくことの困難と、困難を乗り越えていくカタルシスを描くために、まずは現実の醜さや複雑さを描こうとする姿勢は真摯である。

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四月二十一日(火)

 ○夢。
 霊柩車を運転して、寺のような、火葬場のような、横に広い建物へやってきた。なかはがらんとして、どこまでも座敷が続いている。ひとけはない。座敷から座敷へと移動しながら、霊柩車には誰の亡骸も積んでいないことを悟られてはならぬということを思い出す。ある座敷で、ふすまを開けると、むこうは隣の座敷ではなく廊下になっており、雨戸が閉まっていて暗い。左手から、全身白装束の坊主がやってくる。廊下の左右と天上につっかえながらやってくるのだが、近づくにつれ、坊主の身長が三メートル以上はあるのがわかってくる。薄笑いを浮かべながら近づいてくる坊主から逃れようと、廊下を右手に折れる。背後に坊主の笑い声を聞く。「逃げられると思うのか」建物を出て、曇天の下、今度は西洋風の庭園のごとき墓場に出る。白い墓石の間を、坊主との距離を確認しながら逃げ惑う。坊主が追いかけてこぬはずはないのである。

 ○午前中は蔵書の虫干しをする。特に、古本屋で買いあさった箱入りのハードカバーは、たまに開くとくしゃみをもよおすことがある。今日は四冊ある『世界ノンフィクション全集』を虫干しすることにした。

 ○終業後、二時間ほど散歩する。日が暮れてからの散歩はいまいち盛り上がらないが、体を動かさないことにはなまってしまう。帰宅したらうっすら汗をかいていた。

 ○「上を向いて歩こう」をみんなで歌う、というプロジェクトがあると聞く。思い出したのは以下の文章である。

○夕、勇太郎君の話によれば、この五月頃米国を粉砕すべき秘策成り。目下都下の提灯屋は提灯の大量生産に大童なりと。
 都下の提灯屋が提灯を作りおること或いは事実ならん。されどこれが戦勝の行列に備うるものなりや否や、頗る眉唾ものなり。もし然るならばこれほど歓天のことなし。しかれどもおそらくその提灯は、現時の管制、闇黒の都下に犯罪防止その他不便のこと多く、懐中電灯の生産見込みなきゆえに提灯の生産を督促しおるものなるべし。
 多数の提灯を見て、提灯行列を思う。敵艦本土に迫り、敵機国土に乱舞する近時、弱者の描きそうな夢想なり。希望の化物なり。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。


四月二十二日(水)

 ○「上を向いて歩こう」の件が気にかかる。コーヒーを飲みながらつらつら考えた。
 畢竟、ぼくは「みんな」がこわいのである。この日記に「不染日記」などとつけたのも、「染ら不」を自主的に選ぶ気概を示したのではなく、「みんな」がこわくて「染れ不」なのである。
 だが、それはぼくのなかの恐怖心であって、誰かの恐怖心ではない。ぼくのこわい、嫌いなものを、他人もこわくて嫌いだという法はないのであるから、自分だけの基準をもって他人を揶揄するのはせざるべきことである。昨日の日記はそこへ陥る危険があった。
 己の行いの不首尾をあげつらうとも、他人の行いを、ましてそのこころを足蹴にすまじ。

 焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を落としていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで
「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」
 と、呟いたのが聞えた。
 自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。
 数十年の生活を一夜に失った女ではあるまいか。子供でさえ炎に落して来た女ではあるまいか。あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞いた女ではあるまいか。
 それでも彼女は生きている。また、きっと、いいことがあると、もう信じようとしている。人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。……この細々とした女の声は、人間なるものの「人間の賛歌」であった。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。

 ぼくもかくありたし。

 ○終業後、「ヤラカシタ・エンターテインメント」の相棒である下品ラビットと一緒に、noteの「スキ」におみくじアニメgifを表示させるよう作業する。熱中。


四月二十三日(木)

 ○長野のマスク工場で、マスクの増産にともない、中国から古いマスク製造の機器を購入するだけでなく、大学生や高校生を含め、アルバイトや派遣社員を雇用して、手数を増やしているという。すばらしいことと思う一方で、学生が働くことになると、これはいよいよ七十五年前と似た状況にあり、とも思う。
 そのほかにも、小売店の現場では購入がメインではなく、「なにかすること」「(家ではない)どこかへいくこと」が目的になっている人が増えているという。さもありなん、人は家のみにて生きるにあらず。職場のような家庭とは異なる役割を求められ応じる場、友人と共有する時空間、自分一人でいられる聖域……そういう場所が、人が個人であるためには必要なのである。しかし、外出自粛要請に応えることによって、それは失われる。命ながらえるために、こころを殺しているのである。
 ぼくがこれらのことを考えるきっかけとなった情報は、テレビのニュースで知った。同じニュース番組で、取材を受けた小売店従業者が、どこかのんきなていで店内を回遊し、友人どうし立ちどまってはくっちゃべるお客に対する不安、このまま先が見えないまま神経をすり減らすことになるだろう予想からの不安を、諦める気持ちになったと言っていた。これこそまさに『戦中派不戦日記』に語られた、先行き不透明な現状に対する不安の鈍磨していくさまとそっくりおんなじである。
 人の心は変わらない。だが、その弱さが変わらないとすれば、その強さはどうだろうか。七十五年とおなじしたたかさを持っているだろうか。

 ○日が昇っても空気が冷たい。もう四月も終わるというのに、どこか空々しい気分がする。人が出歩かず、車も数が減り、船も飛行機も動かずにいるので、原油の価格も下落しているという。地球が冷え込んでいるとでもいうのだろうか。

 ○夜、岬へゆく。夜の街からどんどん人がいなくなる。店が閉まる時間が早まっているからだろうし、そもそも開いている店が少ないからだ。この時間帯にやっていた店は、明日をも知れぬ気持ちであろう。ぼくには計り知れぬ不安なり。
 電車とバスを乗り継いでの帰途。感染予防の換気をしているバスのなかは寒く、そとは暗い。

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四月二十四日(金)

 ○二十一日と二十二日の日記を、公開版からは消そうと何度か考えたが、自戒を込めて残しておくことにする。ぼくはスノッブである。「性、狷介、自ら恃むところ頗る厚」し、である。

「[前略]余みずから同胞に拘わらざるごとく、同胞をして余に拘わらしむるなかれ。……」
「善をなし、悪をなす。それが何になる。後世を頼むことはやめた。……おれは、おれの穴に閉じこもって、世界が崩れようとも一歩も動かぬ」
 以上、フローベールの書簡。
 フローベールとわが胸の中の差おそらく雲泥もただならずといえども、彼が右の言々このごろのわが胸を搏つことの何ぞ深きや。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。

 以上、山田風太郎の日記。
 山風先生とぼくの胸中の差は、おそらく雲泥などということばですませられることのない隔たりがあるのはわかっているが、先生の日記が、このごろのぼくの胸を打つのは、なんと深いことだろうか。

 ○昼過ぎ、高校時代からの友人からLINEで連絡。
 昨晩、長女誕生とのこと。

 自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。
[中略]人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。……この細々とした女の声は、人間なるものの「人間の賛歌」であった。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。

 どんな場所でも、どんな時でも、どんな状況でも、人は生まれ、生きるのだ。



→「#6 目を開き、風を読め」



参考・引用文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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