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コロナ渦不染日記 #25

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六月二十二日(月)

 ○朝の電車は、日増しに乗客が増えていく。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことであろう。

 ○夜、巻来功士『Magic Paradise ダニー・エルフマン・シリーズ』を読む。

 伝奇ホラーアクションの名手である巻来功士氏の、代表作のひとつである『ミキストリ 太陽の死神』に、中盤からあるキャラクターが登場する。怪奇に惹かれるあまり、主人公ミキストリの関わる怪奇事件に首を突っ込んでしまう、若手ホラー小説家のダニー・エルフマンである。弱虫で、俗物で、功名心を抑えきれず、嘘つきで、異性に弱く、のぞき趣味がある一方、ごく一般的な正義感と優しさも持ちあわせていて、なにより怪奇幻想と超自然現象、そしてそれらにまつわる人のこころの弱さや美しさに惹かれる彼は、ラヴクラフトやキングやマレルやバーカーといった、高名なホラー作家たちをぎゅっと凝縮して俗物根性で割ったような、愛すべき人物である。
 そんなダニー・エルフマンが主役を務める短編を集めた作品集が、この『Magic Paradise』である。毎回の物語は、作家として大成したダニーの回想と、「もちろん、この物語は実話である……」といったフレーズから始まる。実際の殺人を取材するために、殺してもかまわない人造人間を作る男の物語。時のとまった男女の愛憎の物語。天職と思い定めた仕事のために、文字どおり魂を売ることの物語。ダニーののぞき趣味が恐怖を招く物語。……本編である『ミキストリ』で主人公を務める、死神の力を持ったミキストリと違い、ダニーはただの一般人なので、毎回の事件をうまく解決できない。本編同様、彼は傍観者として、怪奇が引き起こす人のこころの哀しみや、人のこころが招く怪奇の魅力を、ただ眺めているしかない。
 だが、そういう彼だからこそ、世に知られることのない、人のこころに触れ、それを「未発表の物語」というかたちであれ、語ることができるのだ。だから、この物語は、多くの怪奇幻想小説がそうであるように、人のこころに潜む、暗いゆたかさの物語となっている点で尊い。他人に見せて恥じないものだけでできたこころは、明るくすっきりしてはいるが、うすっぺらくて脆いものである。その背後に、暗くどろどろとしたものがあって、はじめて安定してくるのだし、そうしたものを赦されてはじめて、人は真にこころの安らぎを得るのだ。暗いこころ、哀しいこころ、弱さ、醜さ、どうしようもなさの存在を自分のなかに赦すこと、それこそがゆたかさであり、そこへ到達したからこそ、ダニー・エルフマンの物語の最後は美しい。

鶯[うぐいす]や四十雀[しじゅうから]も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。

——梶井基次郎「桜の樹の下には」より。
太字強調は引用者)


 ○なお、「ダニー・エルフマン」の名前は、ロックバンド〈オインゴ・ボインゴ〉の元リーダーで、いまは映画音楽中心に活躍しているミュージシャンの「ダニー・エルフマン」からの引用であろう。

You worry too much
You make yourself sad
You can't change fate
But don't feel so bad
Enjoy it while you can
It's just like the weather
So quit complaining, brother...
No one lives forever!


(くよくよしてんな。しょぼくれてるぜ。どうにもならねえんだろ。でも、落ちこむこたぁねえよ。たのしくやろうぜ。天気みたいなもんじゃねえか。ぶつくさ言うのはやめにしようや、なあ。どうせみんな死んじゃうんだから!)

——「No One Lives Forever」より。
(日本語訳は引用者)


 ○本日の、東京の新規感染者数は、二十九人。


六月二十三日(火)

 ○仕事帰りにふと思いたち、蒲田で寿司を食べる。外の店で寿司を食うのは実に数ヶ月ぶりである。そもそも、毎月、外で寿司を食べられるほどのお大尽でもないが、この災禍のこともあり、間遠になってしまっていた。
 久々に食べた寿司は文句なしにうまかった。

 ○寿司の喜びが残っている打ちに、持ち帰り仕事を完成させる。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、三十一人。

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六月二十四日(水)

 ○在宅勤務の日。緊急事態宣言下で外出を控えているあいだは、そうすることが普通であったので、そういうものだと思うこともできたが、現場仕事が再開したいまとなっては、ダラけることおびただしい。「やるべきことをやっている」という感覚に乏しいのだ。

 ○この災禍を経て、ようやく気がついたのだが、仕事とは、社会および他者とコミットすることであり、社会的生物として他者をこそ世界としてしまったわれわれ知性存在にとって、血液の循環にもひとしいことなのだ。そしてこの場合の、血液が運ぶ酸素に相当するのが、金に代表される「他者からの評価」なのだ。
 もちろん、これは「金に代表される」だけであって、金以外にも存在する。しかし、そうであるならば、たとえそれが金であろうとなかろうと、人の社会的価値を示し、人の自己肯定と精神的な安定感に強く影響する点で変わりはない。だから、金で横っ面をはたいて従わせるがごとく、愛情で他人をぶちのめして言うことをきかせたり、家族の名のもとに他人を縛りつけることができるのだ。
 搾取はなにも金だけの専売特許ではないし、人を癒やすのはなにも愛情や家族だけの役割ではない。どちらにもおなじ力があり、時と場合でそのむかう先が違うだけなのだと、知ることもまたゆたかさではないか。

 ○在宅勤務を終えたところで、本日の東京の新規感染者数が五十五人だとの報道が飛びこんでくる。
 すわ感染拡大第二波、とは思わないが、連日の満員電車や、ソーシャルディスタンスの意識されなさ、リーダーシップなき都政のふるまいを見ていると、それ見たことか、と思わずにいられない。
 もちろん、これは感染された方のせいなどではない。というよりも、誰のせいなどということを特定することに意味はないのだ。


六月二十五日(木)

 ○新しい時計をして仕事へゆく。
 セイコーの「Sportsmatic」という種類の、機械式自動巻き時計を、オークションで買ったのである。ビンテージものではあるが、そこまでの値段はしなかった。

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 ○もともと、ビンテージの腕時計集めは、同居人である下品ラビットの趣味であった。百年ほど前、英国植民地時代のインドで創立された時計メーカー〈hmt〉、ソ連時代からあるロシアの時計メーカー〈Boctok〉などの作る軍用時計の系譜にある安価なスーベニアものや、ドイツの老舗時計メーカー〈HELBROS〉のデザインフルなもの、果ては本邦は東急グループの資本で作られた〈TRANCE CONTINENTS〉(いまははるやまホールディングス)やデンマークの〈SKAGEN〉などの時計を、機械式を中心に、ある時期からぽつぽつと集めはじめたのである。
 とはいえ前足は二本ずつしかないので、彼が使わないものはぼくが使うなどしているうちに、ぼくじしんも気になって、集めるようになったのだ。

 ○しかし、ここにきて、新しい時計、しかもビンテージものに手を出したのは、特別定額給付金の給付を見越してのものである。これまで使っていた、ロシアの時計メーカー〈Poljot〉(1930年代にスターリンの命令で設立された)の機械式手巻き時計も、動作に不具合はないのである。しかも、こちらはちょっと珍しい、アラーム機能つきで、起床時などに重宝していた。

 ○つまり、これは、ぼくらなりに浮かれているということであろう。

 ○夜、マーク・ミラー『WANTED』を読む。

 さえない主人公が、かつて自分を捨てた父こそ、「どんな相手も殺せる」超能力の持ち主であるスーパーヴィラン〈ザ・キラー〉であり、自分こそその超能力を引き継いでおり、この世界は「異なる次元のスーパーヴィランが力を合わせてスーパーヒーローを駆逐し、今は過去を改竄して『スーパーヒーローなどいなかった』ことにしたうえで、私利私欲の限りを尽くし退屈すらしている世界」であると知り……という話は、映画化されたものとはまったく別物である。徹頭徹尾、「コミックなんか読んでるボンクラども」のナイーブなこころを逆なでするしかけに満ちていて、不快であるとともに爽快である。
 マーク・ミラーの作品は、これ以外に、『キック・アス』、『キングズマン』が映画化されているが、どれも原作とは異なるアプローチをしている。それは当然で、(どんな原作だろうと、そのままに映像化することほど愚かなことがないのはもちろんとして)マーク・ミラーの作品は「コミックであること」に意味があるからである。その歴史や社会的な認識を含めて、「コミックという媒体」であることが、物語にとって必要不可欠なのだ。

 ○とはいえ、ぼくは映画版『WANTED』が好きである。特に、芸能人吹き替えの最悪なパターンと揶揄されて、嘲笑の的ともなった、日本語吹き替え版が好きなのだ。理由はただひとつ、「ド下手」と言われた(当時の)DAIGO氏の吹き替えが、なにものでもなかったし、なにものにもなれなかったが、自分じしんにはなることができた主人公のそれにふさわしいものと感じたからだ。当時のDAIGO氏が、DAIGO氏としての声しか出せなかったからこそ、主人公ウェスリーにぴったりだったのだ。


 ○本日の、東京の新規感染者数は、四十八人。


六月二十六日(金)

 ○朝。電車の戸袋のところに身をかがめていると、背の高いに人間が乗りこんできたものの、その場でんと立ち尽くして、戸口を塞ぐかたちになっていた。しかも、次に来た人間が、背の高い人間に対して、目をあわさず、胸をそらして突っこんでくるかたちになり、さらにその背中に背中をあわせるようにして、トコロテン式に先人を押しこんで、乗りこもうとする者まで現れる始末。
 彼らはみな、無言であった。これこそ「日本モデル」というやつであろう。仮に、他者としての「世間」にならうなら、彼らは電車に乗ったら入り口を開けるために奥に進むくらいはすべきかと思うが、そこは自分中心の「世間」しか認識しない輩、効率よく互いを無視するのである。
 時差通勤だの譲りあいだのは言われないとやらないし、なんなら言われても自己都合でやらない。これでは「感染者を減らす」などということがスムーズに行くはずがない。

 ○仕事には手応えがあった。

 ○特定定額給付金の給付めあてで購入した、ビンテージ時計のもう一本をつくづくと眺める。こちらは十九世紀から続くスイス時計の老舗〈ENICAR〉の機械式手巻き時計である。

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土星のマークが可愛いし、さすがスイス時計、オーバーホール(分解清掃と修理)の履歴はわからねど、時刻は正確である。

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→「#26 レモンサワーでおっかける」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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