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コロナ渦不染日記 #64

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十月十九日(月)

 ○今朝の体温は三六・〇度。

 ○今日の現場には、ヘビ先輩が同行した。仕事中ずっと、ぼくの背後におり、ときおり、シューシューと呼気をもらす。業務を手伝ってくれるわけでなく、アドバイスこそくれるものの、現場にいなければできないようなものでもないので、なんのためについてきてくれたのか、ちょっと不明であった。退勤後、どっと疲れる。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、三一六人(前日比-一一五人)。
 そのうち、東京は、七八人(前日比-六八人)。

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十月二十日(火)

 ○今朝の体温は三六・一度。

 ○取引先で、「うさぎさんはよく働きますね。このお仕事が好きなんですか?」と聞かれたので、正直に、「お金のためですよ」と答える。「すごいなあ、わたしは隙あらばさぼりたいです」とおっしゃられるが、なに、こちらにしても、取引先だから、頑張っている姿を見せているだけで、一歩取引先を出れば、文字どおり脱兎のごとく仕事から遠ざかるのである。

 ○退勤後、イナバさんの紹介で、狂言を見にゆく。ぼくたちは、狂言の演目にはあかるくないのだけど、古文ができるので、だいたいなにを言っているのかぐらいはわかるのである。

 今回の演目は、太郎冠者(『ドラえもん』ののび太みたいな人物)が、主人に命じられ、「すえひろがり」なるアイテムを探しに行く「末広かり」と、狐が、狐狩りの猟師を止めるべく、彼の叔父にばけて、狐の霊力について語るも、帰り道で猟師の罠にはまる「釣狐」。どちらも、狂言らしいコミカルな内容を基調とするが、演者の解釈によって、演じられるキャラクターの「見え方」が変わるのは再現芸術の常である。特に、後者のメインキャラクターである「狐」が、人に化けきれないけものの性[さが]を演じて、異類の「わからなさ」を表していた。
「狐」を演じたのは、「内藤連」氏という狂言師。「釣狐」は、これを演じることができれば、狂言師として一人前、という演目であるというから、今回の「異類の『わからなさ』」の演出は、あるいは内藤氏の、狂言師としての決意表明であるかもしれない。

 ○これを見ながら、なんとなく思い出したのは、杉浦日向子『百物語』より、「其ノ四十八、其ノ四十九 人に化ける獣二話」である。

 馬子が、馬を引いてとおる、野なかの道ばたに、少女が立って、「馬に乗せてくれ」とせがむ。馬に乗せて、しばらく行くと、耳と尻尾をあらわにして、コウと鳴きながら飛び降りて、去ってゆく。そういういたずらが、たびたび起こるので、馬子たちは、この狐をつかまえて、毛を焼き、こらしめようとした。だのに、毛を焼かれてみすぼらしい姿になっても、少女に化けた狐は、野なかの道ばたにあらわれて、馬に乗せてほしそうにするという。——この話を、馬子から聞いた客は、「どうしてそんな目にあっても、人に化けたがるのだろうか」とつぶやく。馬子はこたえていわく、「さ、そこが畜生よ」。
「畜生」ということばづかいに差別はあるが、そのさらに根底にあるのは、差別する側からみた「わからなさ」である。どんなに姿が似ていても、やはり、それは「異なるもの」なのだ。そういうことを示すところに、物語の意味はある。そして、それを示す演技をできる、「内藤連」氏は、すばらしい表現者であると言えよう。

 ○ところで、今回、「末広かり」で、太郎冠者におつかいを頼む分限者を演じ、また、「釣狐」で「後見」を務められたのは、映画『シン・ゴジラ』でゴジラを演じた、二世野村萬斎氏であった。ぼくたちが、なまで氏の狂言を見るのは、これがはじめてであった(氏が、舞台役者として演じるのは、二〇〇五年の舞台『敦―山月記・名人伝ー』で見ている)。が、なるほど、これこそ重要無形文化財総合指定者であろうという、すごみのある挙措であった。スクッと立ち上がる姿だけでも、見ているこちらの背筋をゾクッとさせてくるのである。
 そして、氏の父親である、二世野村万作氏の舞も見ることができた。こちらは人間国宝の舞である。眼福というよりない。

 ○なお、国立能楽堂の座席は、この災禍に対応して、一席おきの着席となっていた。観劇中も、マスク着用である。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、四八一人(前日比+一六五人)。
 そのうち、東京は、一三九人(前日比+六一人)。


十月二十一日(水)

 ○今朝の体温は三十五・九度。

 ○ここ二週間ほど、ああでもないこうでもないと準備してきた案件が、本日の本番をもって終了した。ハリネズミ先輩が同行し、サポートしてくれたのだが、このサポートが的確で、まことにありがたいことであった。

 ○帰宅すると、妹うさぎからLINEでメッセージがやってくる。いよいよ明後日、姪うさぎがやってくるとのこと。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、六二一人(前日比+一四〇人)。
 そのうち、東京は、一五〇人(前日比+一一人)。

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十月二十二日(木)

 ○仕事の靴は、ベルトに合わせて選んでいる。今朝、茶色のベルトを巻いて出かけたのに、駅に着いたときは、黒い靴を履いていた。それなりに消耗しているとみえる。
 今朝の体温は三十六・〇度。

 ○平井呈一・編訳『屍衣の花嫁 世界怪奇実話集』を読み終わる。

 手紙や日記などから、怪奇現象に直面した人々の「なまなましい告白」を掘り起こす第一部「怪奇事件報告」パートは、そのなまなましさのあまり、怪奇現象の描写が異口同音になってしまうところが単調である。しかし、第二部の「実録怪奇物語」パートから、がぜん面白くなってくる。最後の一文でギャッと叫んでしまった「首のない女」、怪奇とノワールがみごとに融合した「死の谷」、汽車という近代的な乗り物に幽霊が現れることで、かえって普遍的な怪異の存在をあらわにする「夜汽車の女」など、内容もさることながら、平井呈一翁の古風な江戸弁まじりの文章が小気味良い。さすが、佐藤春夫と永井荷風に師事し、文章を磨いた平井翁である。これを読むために、この本を買ったようなところがある。
 そして、清教徒の一家に現れたポルターガイスト現象「魔女」を、百年後の科学的な知見から解釈する、第三部「ベル・ウィッチ事件」は圧巻。怪異の元凶を、きわめて現実的な事象に帰着させることで、しかし、現実のおぞましさをも浮き彫りにして、怪異をあらわすしかないことの哀切さもうったえる。やはり、山田風太郎『幻燈辻馬車』でそうであったように、幽霊とは、「虐げられたものの声なき声」なのである。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、六一七人(前日比-四人)。
 そのうち、東京は、一八五人(前日比+三五人)。


十月二十三日(金)

 ○今朝の体温は三六・〇度。

 ○帰宅すると、姪うさぎがやってきている。
 生後二ヶ月、しかもほんらいの予定日より、二ヶ月早く生まれていて、つい昨日まで、入院していたのである。そこそこおおきくなりはしたのだろうが、まだまだちいさく、なんともたよりない。
 だが、生きている

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、七四八人(前日比+一三一人)。
 そのうち、東京は、一八六人(前日比+一人)。

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→「#65 モノンクル」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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