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80歳になっても未来に生きるのですー「賢い」父と、「馬鹿」な嫁と娘ー

図書カード
日系人収容所の参考図書を借りるために、80歳の母を図書館に連れていきました。図書カードを作っているときに
「カードは10年間使えますよ。名前が変わる場合は・・・そんなことはないですかね。」と司書が微笑みました。すると母は
「いやあ10年もあれば、離婚して名前が変わることもあるかもしれないね。」
穏やかな口調でしたが、母の目は笑ってはいないのだろうと予想ができました。でも怖いので、その目を見ることはできませんでした。

定年退職後
父と母は定年退職後、二人暮らしです。退職後の父は趣味関連の活動、ゴルフ、実兄の畑の手伝いなどで出歩いていることが多い毎日でした。
最近も出歩いていますが、家にいると、テレビばかり見ています。本は全く読まなくなりました。

ここ数年、父は実兄とべったりの関係で、畑の手伝いや頼まれて買い物出かけることが多くなりました。1日数回、兄から電話がかかり、スーパーや畑に出かけていくのです。近距離の移動も車で出かけます。


母は40歳で、看護師として復帰し、定年退職まで働きました。昔から過度に常に父に気を遣っている人でした。

母はスマホに関心がありましたが、父は「そんなもの必要がない!」と受け入れないので、ずっと父のプライドを傷つけずに導入するタイミングを何年も待ち続けていました。数年前にようやく父と同時にiPhoneを手に入れました。

それから使用方法をコツコツと勉強し続けました。今ではスマホ、タブレットを使用し、ネットニュースやYouTubeから情報を得ます。ラインなども使えます。数少ないラインが使える高齢者同士で交流もしています。

私は母の関心があるコラムなどを教えたり、好きそうな本を紹介します。明らかに知的刺激が増えました。おそらく放送大学で学ぶことも可能だろうと思いますが、残念ながら、そこまでの気力はないと断られました。

父と母
父は関心がないことは、「興味がない」「知らん」とシャッターを下ろします。人を見下すのが得意で、テレビを見ては、「こいつが気に入らん。こいつはアホじゃ」と毒を吐きます。

母は人の話に耳を傾けようとします。人を見目形で判断しません。どの人からも学ぶことがあるのではないかと、その人の人生の興味を持ちます。分からないことは教えて欲しいと言います。知りたいことはスマホの扱い方や社会問題についてなど幅広いです。

「お父さんと話が合わない。」

母がこぼすことが増えてきました。母は、父に歯向かうことなく、どうしてこの人は、こうなのだろうかと考えて自分なりに分析をし始めました。
母は現職の時代、長くカウンセリングの勉強をしていました。その話に付き合い、私と2人で「父」という人間を考えることがおおくなりました。

「父」
子どもの頃から母から「お父さんは賢い人」と言われて育ちました。そんな母の態度に、いい気になったのか、父も自分は成績も良く、どこの学校を受験しても合格できると言われていた。」と常に自慢をしていました。村の優等生は、結果的に高卒の技術系地方公務員になりました。

子ども時代、そんな賢い父に、勉強を教えてもらっても、「理解できないおまえが分からん!」「定規を使って、線もまっすぐに引けないのか!?俺の子じゃない!」とすぐに癇癪を起こして、そこで終わってしまうのです。
運動会やお遊戯会も進路についても、子どもの教育には全くといっていいほど、関心がない人だったと、母はとても不思議だったそうです。

「賢い」ってなだろう
私の家には、物心がついた時から、本やレコードがたくさありました。父は幕末から戦時中に関心があると、特にその時代の全集ものが並んでいました。私も字が読めるようになると、よく本を見ていました。

でも今から思えば、どの本も新品同様で読んだ形跡がありませんでした。父は本を買うことで満足していたもかもしれません。

母は勉強が苦手な人でしたが、いつも本を読んでいました。小学生ぐらいになると、読んだ本や見た映画の内容を話して聞かせてくれました。いまでも講演会やラジオで聞いた内容をメモして話してくれます。

父は四文字熟語や諺が得意で、よく誦じますが、あるとき親戚の若者から「おじさん、それ自慢ですよー」とツッコまれているのを聞いて、母がおかしいと気がつきました。

どうやら父の知識は、中学・高校で止まっているたです。しかもそれは「暗記」した知識に他ならないのでした。それもある意味、賢さかもしれません。現に暗記や学校の勉強が苦手な母や私にはできない芸当でしたから。

本当に「賢い」人
短大に入学して、私は素晴らしい先生方に出会いました。物事をわかりやすく教えてくれました。何を質問しても答えてくれましたし、分からないことは調べてくれました。
大学の学びと、高校までの「暗記」が中心の学びを違いを知りました。それまで勉強は苦痛でしかなかったのですが、生まれて初めて勉強することが楽しいと思いました。

先生方はいわゆる1流の大学を卒業されていますが、偉そうな態度はされません。本当に賢い人は、私みたいなアホな学生に合わせてくれるようです。そして私が考えていることに耳を傾けてくれました。
これまで父から「お前はできない」と言われて育ってきた私には、まさに夜が明けるような経験でした。

たしかに中には、おかしな先生もいましたが、その後も出会った多くの先生方は、どの方も私を馬鹿するひとはいませんでした。どうやら私は父に一番馬鹿にされていたのでした。

母を認めない父
近年、私は母に、いろいろなことを教えています。社会の仕組み、言論、世界の見方・・・母は努力家で優秀な生徒です。
父はそんな私たちの会話に関心などもつことはできないでしょう。

母はもともと自分でできることは、自分でする人でした。だからまず父に頼ろうとはしません。分からないことも検索して自分で調べることができるようになりました。

なんでも自分でできて、知識を持つ女は、嫌いみたいです。父は私から教えてもらうことを嫌います。「生意気」だと言われます。自分が馬鹿だと思っている娘から教えてもらうことはプライドが許せないのでしょう。

ここ数年、父とはまともに話をしていません。馬鹿な子どもと賢い父という関係が、成り立たなくなったからかもしれません。最近は母も馬鹿な嫁と賢い夫の関係性が崩れてきているようです。

「父」という人間
「大学院を出て賢いやん」という人も多いですが、それは違います。「まだまだ勉強が足りない。」「もっと勉強をしとけばよかった」勉強に終わりがないことを痛感したのです。だから自分を賢いなんて考えたこともないです。世の中には知らないことばかりなのです。

父が自分を「賢い」と自慢をする、愚かさがわかりました。謙虚さがありません。学び続ける母や私から距離を置くのは、彼の器のキャパシティの問題なのでしょう。

ずっと父を「賢い」人だと尊敬してきた母です。そんな母の気づきが「離婚して名前が変わることもあるかもしれないね」の言葉だったのかもしれません。

ライフワーク
母がアメリカに移民した祖父の足跡をたどろうと思い立ったのは、自分の母が亡くなった年齢に達したからだと言いました。残された時間がどれくらいあるか分からないけど、調査をしたいと言いました。

戦時下の書物を多く所蔵していたので、関心があるかと父に水をむけましたが、やはり興味を示しませんでした。というか基本的なことも知りませんでした。やはり本棚に並んでいた本は、読んでいなかったのだと確信しました。

母を図書館に連れて行き、日系移民の関連本を借りてきました。一生懸命に読んでいるようです。週明けには祖父の戸籍を請求するように指示しました。あくまで母が主体の先祖の足跡調査です。私は資料の解読、まとめ、人脈を駆使してバックアップをします。

これは母のライフワークともいえる学びのテーマです。できる限り手伝おうと思います。母は父にガッカリしている時間がないほど、充実しています。母は80歳になりましたが、幾つになっても未来に向かって生きていくことができるのです。


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