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人生100年、これからどう生きていこうか。

生き様と死に様

最近、友人のお父様がお亡くなりになりました。約1年間の闘病生活の間に、すべての準備を終えて、生ききったそうです。最後まで「ありがとう」を繰り返していたそうです。悲しいけど、清々しい思いで父を見送ったと、友人は話してくれました。

「急に亡くなるのは、本人も周囲も悔やむことが多いけれど、癌は残された時間があるから、いいのかもしれない。」友人は言っていました。

高齢者の中には「早く死にたい」と愚痴を言い、人に感謝することもなく、生きている人もいます。残りの人生を不平不満を言いながら生きていくことは、ある意味過酷かもしれません。しかしそれも自分で選んだ人生です。好きに生きればいいです。

死の準備

人生100年といいますが、最後まで健康に生きていけるとは限りません。
既に50代のわたしは、折り返し地点に達してるのです。

娘には、私亡き後のことを伝えてあります。必要書類はきちんとファイリングしてありますし、手引きも作ってあります。
息子のことも機会ある度に、グループホームに入る将来設計を、支援計画担当者や事業所の方に伝えています。

親しい友人たちに娘と連絡先を交換してもらっています。きっと友人たちは娘を助けてくれるはずです。

あとは、生前遺言書の下書きを自筆で清書することと、知り合いに息子の成年後見人をお願いすることです。これらは近々完了します。

私自身の断捨離は終わっています。衣類、身の回りのものはすべて廃棄すること。墓はなく、散骨と一部は某寺院に永代供養をするようになど、娘に伝えています。

そして生きていくのだ

ここまで準備してみると、あとは残りの自分の人生を生きていくだけなのです。
では残りの時間をどう生きていく?何をする?ちょっとワクワクした気持ちになっています。

重大な疾患がたまたま発見され、九死に一生を得た友人と、よく話をしています。
これから何をする。どこで何を学ぼうか?せっかちに急げ急げと早歩きしているのです。

「やりたいことをする」「会いたい人に会う」「「いきたい場所に行く」
これを先送りにせずに、予算を考えつつ迅速に行動しようとします。

周囲からは私たちは「やりたい放題の自由人」に見えているようです。でもそれは私たちが、それだけ死を身近に感じる出来事を経験してきたからなのです。価値観が180度変化するような経験でした。

そんなわたしを、知る人は「そんな準備のいい人は、長生きするわ」と言います。でも寿命は自分が決めれるものではありません。だから毎日全力投球で、やるべきことに取り組むだけです。

人生100年、これからどう生きていこうか・・・
まずは洗濯だ!今日もがんばります!!

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