「ねばならない」を手放せるお年頃
「ねばならない」年賀状
夫が亡くなり、その後、年賀状を書く気力を失いました。届いたものに対して、年賀状を送ることにしました。それが「書かねばならない」という強迫観念の塊になり、毎年の元旦が苦痛でした。
だから意図的に年賀状を書くという習慣からフェードアウトしていきました。会う機会にある人たちや実家や弟には、年賀状を失礼することを説明しました。メールアドレスを把握している人には、メールでご挨拶するようにしました。ごく少ない親戚とアドレスを知らない友人、知人へ年賀状絞り込みました。
「年賀状が返ってこないことで安否確認ができるから、それでいいの。生きていたらそれで十分だから、年賀状は返さなくていいよ。」このように言ってくれる友人もいました。ちゃんとメールで新年のご挨拶をしています。
年賀状も10枚に減り、早々と年末に投函しました。何年もかけて私は年賀状の重圧から解放されつつあります。
「ねばならない」天袋の重い荷物
押入れの天袋から雛人形を下の段に下ろしたので、ようやく点袋に重いものがなくなりました。必要なものは押入れに移動させました。これで足台を使うことはありません。天袋に押し込むように、無理して保管せねばならないものはなくなりました。
スカスカの天袋には、キャリーバック、息子の小さな兜飾り、電化製品の空箱(こちらもそろそろ処分対象)です。いつも使うものではないし、取り出すのに苦痛でないものばかりです。
段ボール数個には、子ども(娘)の思い出の品と娘のために残した夫の遺品です。これらの物は私の私物とは言い難いものです。おそらく私が死ぬまで下ろす必要はないので、端の方へ押しやっています。
「ねばならない」人間関係
親戚付き合いも少なくなりました。父方の親族とは、親の代で付き合いはなくなるでしょう。そうなりたいとの希望を込めて、早々に年賀状を辞退する旨を伝えました。遠縁ですがハトコとは、何かと助け合っているので100人力です。母方は広島県から出てきたイトコたちと仲良しなので、200人力です。
友だちや知り合いも多いですが、平素は特に会うこともないです。でも困った時は相談し合える間柄の人たちばかりです。みな利害関係のない間柄です。気を使わないし、親身になれる人たちです。時間と距離を超えて、インターネットで繋がることが容易いので、孤独を感じることはありません。
天敵は「ねばならない」
「ねばならない」は自分自身が作り上げたものです。年を追うごとに、「人並みに」「世間体を気にして」自分を一般化するようになりました。それも無意識にです。だから自分の子どもに障害があったり、無職になった「自分」を受け入れるのが出来なくて苦しみました。
いまから思うと「アホ」でした。自分の人生は自分のものなのに!ねばならないオバケはやっかいなんですよ。世間や他人の目が気になって、自分のこころを傷つけるのです。
「ねばならない」を攻略する
簡単にいうと捨てちゃえばいいのです。
目に見える使わないもの、不要なもの、仕舞い込んだものを捨ててみます。意外と物がなくても生きていけることがわかります。年賀状をやめても、それでも繋がる人、会わなくても大好きな人、何かあれば駆けつける人、それって誰?私にとって大切な人は誰か?おのずと分かってきます。
私はこの方法で、「ねばならない」に立ち向かいました。ちょっと時間は必要ですが、何かが見えてくると思います。無心になって片付けをしてみてください。まずは1歩踏み出してやってみる。ダメならまた考えて、違う方法を試してみたらよいと思います。
私は50歳を越えて、ようやくこのような考えができて、それを行動できる気力、体力がまだある年頃です。年をとるのも悪くはないです。