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メキシコ旅行記 〜異国の親族を訪ねて〜 vol.4

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【前回までのあらすじ】
異国の親族を訪ねてメキシコはクエルナバカに来た僕ら家族は、親族から手厚いもてなしを受けて、テキーラを飲んだりタコスやタマレスなどのメキシコ料理に舌鼓を打ち、お腹いっぱいで眠りに就いた。

4-1 テポストランを観光

朝食を食べたあと、わざわざ仕事を午前中で切り上げてくれたマリーフランスが僕らを観光に連れて行ってくれた。

車で一時間ほど走らせて着いた場所はテポストランというところだ。ピラミッドがあったり文化的な建造物があって日帰り観光地として人気のスポットらしい。

テポストランの山々。山の上に小さな四角いピラミッドがあるとか

ブラブラと街を歩くと、至る所にお土産屋さんがあった。とにかくカラフルなものが多かった街並みもカラフルで歩いていてとても気分が良かった。

他に印象的だったのは、野犬が沢山いたこと。タイに旅行したときも多くの野犬に遭遇したが、野犬が風景としてある土地の野犬は一様にして生気がない。だいたい足を伸ばしてぐでんと横たわっている。人が近くを通っても全然気にしない。そんな様が絶妙にかわいくて、もし彼らの生態を追うドキュメンタリーがあるのならば見てみたいものだ。

※ ※ ※

かつてメキシコはスペインに植民地支配されて、キリスト教への改宗を強制された過去を持っていることもあって、年代物の教会とも行く先々で出会った。

年代物の教会

マリーフランスがかつて古い修道院で今は資料館なっているところに案内してくれて、キリスト教の歴史について色々と説明してくれたけど、英語のリスニングが上手に出来なくて僕はほとんど何を言っているか良くわからなかった。資料館もスペイン語表記しかなかったから、当然何が書いてあるか全くわからなかった。(兄はちゃんと理解出来ていたと思う)

※ ※ ※

その後はマリーフランスが50種類くらいあるんじゃない?っていう程の謎に品揃えの豊富なジェラート屋さんに連れて行ってくれた。まぁまぁ普通に美味しかった。


4-2 ランチはメキシカンレストラン、夜はパエリア

観光を終えると僕らは妙子おばさんとサンドロと合流して、メキシカンレストランに行った。ここは外観も内観もめっちゃかわいくてキュンだった。僕が若い時にこんなお店があったらデートの鉄板スポットとして使っていたと思う。

家具なんかも、ひとつひとつ見ていくと系統が違うものが無作為に配置されているような感じがするのだが、全体を眺めてみると不思議と調和が取れている。アジアンなもの、西洋なもの、メキシカンなもの、それらすべてを調和させてしまうのがメキシコの魅力だと思った。

キュンな外観
キュンな内装

タコスをはじめ、色んなメキシコ料理を注文してくれた。料理の名前はほぼ憶えていないが、ひとつだけメキシカンライスというものがあった。タコス屋さん同様、色んなソースを好きな様にかけて味変しながら料理を楽しんだ。

お肉をズッキーニで挟んだもの。右側にあるのが頻出の煮豆
メキシカンライス。どの辺りがメキシカンなのかわからなかった
よく覚えていない食べ物

食べ終えた後は、サンドロがお土産にとレストラン内でおかしを売り歩くおじさんから郷土菓子っぽいものを買ってくれた。日本のお菓子みたいに、雷おこしっぽいものと、ピーナッツを砂糖で円形に固めたものと。

お腹いっぱいで帰宅し、夜までしばしの休憩。

※ ※ ※

夜は母のリクエストで、なぜかメキシコ料理ではなくスペイン料理のパエリアを頂くことに。サンドロはケータリングの仕事をしているので、そのつてを使ってお鍋いっぱいのパエリアを用意してくれた。メキシコ産の美味しいワインも出してくれた。

大量のパエリア

母は自分がリクエストした割に大した量も食べずに満足していて、サンドロに気を遣った兄が無理にバクバク食べて部屋に戻った後は白目を剥いてダウンしていた

おまけに兄は、なんだか喉が痛み出したらしく、サンドロに喉の薬をもらっていた。泣きっ面に蜂。それで思い出したが、メキシコのファミリーはみんな当たり前のように睡眠導入剤的なメラトニンのサプリを持っていた。もしかしたらメキシコだとそれが一般的なのかもしれない。


4-3 翌朝、カンクンへ

翌朝はサンドロとマリーフランスは仕事のため早朝に別れの挨拶をし、僕らは妙子おばさんと一緒に朝食をとった。サンドロが気を利かせて白米とインスタントのお味噌汁を用意してくれていたので、束の間の和風タイムを楽しんだ。

サンドロ家にはお手伝いおばちゃんのマリセラがほぼ毎日家事をしているのだけれど、せっかくの記念だからと思って彼女にも声をかけて「みんなで一緒に写真を撮ろう!」と誘ったらすごく喜んでくれた。

マリセラは英語がわからずスペイン語オンリーなのだけれど、嬉しくてなんかスイッチが入ったのかマシンガンでスペイン語でおしゃべりをはじめて、それに呼応するように母も日本語で応戦していた。異様な光景だったが、それでもなんとなく二人はわかり合えているようで、「言語って手段のひとつでしかないんだな」と感心してしまった。

ちなみにマリセラは十年以上サンドロの家でお手伝いさんをしてるらしかった。旦那さんは悲運にも強盗に襲われたかなんかで亡くしてしまったらしく、子ども5人だかを女手一つで育て上げたらしい。たくましい女性である。犯罪の多いメキシコだと、そういう境遇の人も少なくはないのかもしれないなと思った。

※ ※ ※

そうしているうちにドライバーのホセさんが到着して、僕らは妙子おばさんに別れを告げ(そして再会を約束し)、妙子おばさんの娘であるタエが住むハイパーリゾート地・カンクンに向かうためメキシコシティ空港に移動した。


(vol.5につづく)

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