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勇気がない、根性がないからこそ今がある

小さい頃、なぜこんなにも勇気がないんだろうと思った人は私だけではないはずです。

何かを投げ出してしまい、そんな自分をなんて根性がないんだと自省の念にかられた人も少なくないはずです。

それはそうです。自分の思ったとおりに行動出来る人はほんのわずかですから。
大半の人はうまくやれなかった自分を後悔するにきまってます。

しかし、本当に勇気がない、根性がないは悪いことなんでしょうか。
今だから言えますけど、この性格のおかげで、気に入った自分が今います。

1.勇気がないと思うのはどういうときか

勇気というのは、漢字のとおりで、勇(いさましい)気持ちがあらわれたものです。
さて、どんなときに勇気を使ったかと思い出すと、子供のころですと
例えば、プールに飛び込むとか、そういったやれば出来るはずだけど、
怖くて出来ないときに、その言葉を使ってきたはずです。

勇気を出して飛び込みなさい。勇気を出して飛び込もう。勇気がないなあ。

体を大きく動かすことばかりではありません。
先生に何かを伝えようとしたものの、こんなことを言うと、周りの友達から
何言われるかわからない。先生にだってどう思われるかわからない。

でも正しいことだから勇気をふりしぼって言おう。

私の感覚ではなにかしらの相手や行動に対して、恐怖を覚えるようなことに
挑戦するときに勇気という言葉が出てきます。

2.根性がないと思うのはどういうときか

勇気がないのと根性がないは同じように使われる言葉で、これも後悔をするときによく出てくる言葉です。

根性があるないは、勇気と違って、勇ましさがあるかないか程度でしょう。
幕末や戦国時代の歴史小説を最近よく読みますが、ここに出てくる
武士においては、勇気という言葉がぴったりで根性があるやないやという話はまあ出てきません。
言葉から受けるイメージというものもあるでしょうが。

根性がないは、どちらかといえば、継続できずに途中で投げ出してしまう
ようなときによく使われる言葉じゃないでしょうか。

3.勇気がない根性がないは悪いこととは言えない

では勇気がない根性がないというのは、本当に悪いことでしょうか。
私の考えではそうは思いません。

子供の頃は直感的に動くことがおおいので、このふたつの言葉は
相手や自分を非難する以外には使いません。

ところが、大人になってくると、この非難めいた言葉だったものが
自分を助ける側に働いていることに気がつくわけです。

そんな典型的な例が私にはふたつあります。

卒業してすぐに企業に就職した私はその長いサラリーマン生活を途中で
やめて起業してみたいと思うようになりましたが、起業は高いリスクがあると感じていたため、長い間起業にトライできませんでした。

そのとき、自分のことをなんて勇気のない人間なんだ、なんて
根性がない人間なんだと思ったものです。

しかし、今考えたら、それで良かったのです。
一時の感情に流されて、えいやあと比較的若いうちに退職して起業など
誰が考えてもうまくいくわけがありません。
少なくとも背負っているものがあれば、すぐに破綻してしまうことでしょう。
話は少しそれますが最近のシリコンバレーなどで起業するする人に、投資家が投資する人はだいたい50歳すぎたぐらいです。
それは50歳にもなって起業する人は、過去に失敗をしていたり、経験値が高いから簡単には破綻しないという見られ方をしているからです。

結果としては、退職して起業をする流れになるわけですけど、
すぐにでもやりたかった自分の気持ちをしっかりと抑えて考え直せと
自省させてくれたのは、私に勇気がなかったし根性もなかったからです。

英語のスラングでいうところのチキンだったわけです。

最後はうまくいかなかったわけですけど、熟考する時間が作り出せました。
そのおかげで、いきなり路頭に迷うといったことにはならなかったわけです。
余談ですが、それでも仕事なくて、日比谷公園で真っ昼間から寝てたこともあります。

もうひとつの例は現在も続けている空手です。

格闘技や空手をやられているかたなら、理解していただけると思いますが、
いい歳をしても空手を続けている人はごく少数です。
私は試合にも出ますけど、試合に出る人となると、その数はさらに
減りまして、ごくごく少数です。

そんな少数派に私は入っているのですけど、なぜ今も続けられているのかと言いますとそれは空手を心のそこから好きだったからです、
と言いたいところですが
そうではなく空手を辞める勇気がなかったからです。

辞めるのに勇気がいるのかっていうことになりますが、私には必要でした。
入門するときには勇気は使っていませんが辞めるときには勇気が必要です。

稽古は決して楽ではありません。入門当時はかなりきつく感じていて、毎回やめたいとまで思ってました。

ここで根性のある人なら、ここで辞めるわけにはいかない、続けるぞとなるわけですが、
私にはその根性がありません。
そのため辞める気持ちが大きくなるわけですけど、辞める勇気がないわけです。

これを勇気と言っていいのかどうかわかりませんが、先生に勇気をもってお願いするようなものです。
師範に空手はあまりにも辛いので今日限りで辞めさせてくださいと頼むには
勇気がいります。

私は根性がないわけですけど、それ以上に物事を進めるための勇気が欠如していたため辞めることはありませんでした。

ただ辞める勇気がないといっても、子供と違って分別はおおいにありますので、不正なことを辞める勇気がないということではありません。

お世話になった人にたいして、断る勇気がないということでしょうか。

私にとっては、この空手を続けたおかげで、考え方もすっかり変わってしまいましたが、このようになったのは、勇気がない自分がいたからです。

自分の性格を卑下することは誰だってありますけど、実はそれは自分を向上させてくれる性格なのかもしれません。
少なくとも私はそうです。

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