通称・縁切り神社「安井金比羅宮」で縁切りをして「小多福」で体内に縁を入れる【京都東山シリーズ】
ゴールデンコースは
・阪急・河原町駅⇒八坂神社⇒安井金比羅宮⇒二寧坂・産寧坂⇒清水寺
・阪急・河原町駅⇒花見小路⇒建仁寺⇒安井金比羅宮
のようです。
縁切り&縁結びが終わったら、オハギだ!?
縁切りして、祇園のオハギを体内注入!?では参拝です!?
変更履歴
2022/10/02 初版
▼HP
▼アクセス
京都市東山区下弁天町70
▼祭神
主祭神は崇徳天皇
※金毘羅さんこと、オオモノヌシではない・・。
▼見どころ
日本大魔縁といわれ、国を呪って怨霊となった「崇徳天皇」が祭神
この神社は崇徳天皇が幸せな生活をした場所である
元々は天智天皇の時代に、藤原鎌足(中臣鎌足)が氏寺とした「藤寺」の地
1146年、崇徳天皇は藤寺の紫の藤を気に入り退位後に邸を構える
退位したものの20代の崇徳天皇は、ここで満喫した生活を送る
保元の乱で敗れて讃岐に配流され、8年後に今日に戻ることなくお隠れになる
1177年にある僧が藤寺で崇徳天皇に会って楽しい時間を過ごしたとか
後白河法皇は、このやり取りを聞き、京都の変事は崇徳天皇の祟りじゃないか~と思う
そして今に至るのだそうな(結構、割愛)
崇徳天皇は讃岐では金比羅さんで縁なども断ち切り籠ったそうなので、後利益が「縁切り」と「縁結び」なのだろう
応仁の乱で京都アルアルの荒廃の道に進むが、江戸時代に復興
復興の際に、讃岐・金刀比羅宮からオオモノヌシを勧請する
オオモノヌシはオオクニヌシの別名なので縁結び要素が増量したようだ
清水寺から来たら、ここから入るかと思う。
→縁切り・縁結び「くぐり石」
縁切り⇔縁結びですね!正式には本殿にお参りして、ここに来るのが正式参拝です。
手水舎でケガレ(汚れ、気枯れ)を落とし本殿
碑の左側の台に置いてある形代(かたしろ)と呼ばれる身代わりのお札を取る。
形代に「切りたい縁」や「結びたい縁」を書く
形代を持ち「縁切り縁結び碑」を表から裏へ潜る
形代を持ったまま今度は裏から表へ潜る
用意された糊で「縁切り縁結び碑」の好きな場所に形代を貼る
主祭神・崇徳天皇は、1123年に即位した第75代の天皇。保元の乱で、崇徳上皇は敗北し讃岐へ配流になる。讃岐で崇徳上皇は仏教を深く信仰し、戦ったことを反省しつつ、讃岐・金刀比羅宮で一切の欲を断ち切ったとのこと。
このことから断ち物の祈願所(縁切り)として信仰された。良縁(縁結び)に結ばれると縁が切れることはないようです。
神社アトラクションだけではなく、ちゃんとお参りもしましょうね!頭の中はオハギでしたけどね!?
→本殿
ここより先の本殿左奥にも摂社・末社があります。まずは本殿です。
本殿左奥にご神木があり、これまた金毘羅さんです。
→久志塚由来記
↓安井天満宮ですね。裏に↑久志塚です。久志塚は女性の髪を美しく整える「櫛」で、櫛を供養するという意味である。
→三玉稲荷社と厳嶋社
最後に、この神社の人気スポットは前宮司がやり出したもので、結構最近である。ただ、第38代天智天皇時代に藤原鎌足が創建した古社であることは間違いない。
▼縁切り事例!?
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▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
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