黒田官兵衛など黒田家所縁「妙興寺」瀬戸内だけど福岡【岡山シリーズ】
黒田官兵衛の曽祖父「高政」の墓がある。山門の前にはT字路がありますが、防衛のために道路の先が見通せないように造られた区割りがそのまま残っている。
愛知の妙興寺はこちら。
変更履歴
2024/07/24 初版
▼HP
▼アクセス
岡山県瀬戸内市長船町福岡684
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
1403年、播磨藩主・赤松則輿の供養のための息子・日伝上人が開山
山陽道を代表するかつての宿場町・瀬戸内市福岡地区の中心の寺
かつては10坊1院があった
黒田官兵衛の曽祖父「高政」の墓がある
1511年、黒田高政は備前福岡に移り住み、その子・黒田重隆が播磨国に移り住むまで、この地で過ごしている
山門の前にはT字路があり、防衛のために道路の先が見通せないように造られた区割りがそのまま残っている
九州「福岡」は、黒田官兵衛がこの地からとったともいわれている(って、大分じゃなかったっけ??)
宇喜田秀家の祖父「宇喜田興家」の墓がある
宇喜田氏はここ周辺に腰を下ろした足跡がある
「黒田官兵衛父祖の墓所」の碑がある。
山門をくぐると、歴史が刻まれた仁王門。金剛力士立像が安置されている。案内によると、内部から銘文が発見され、1626年に慶派仏師・清水源兵衛によって造立したことが判明した。
黒田官兵衛の曽祖父「高政」の墓がある。山門の前にはT字路がありますが、防衛のために道路の先が見通せないように造られた区割りがそのまま残っている。
奥にそびえる大イチョウに向かうと、黒田官兵衛の曽祖父「黒田高政」と宇喜田秀家の祖父「宇喜田興家」の墓がある。この後に33年ぶりの秘仏公開をする「大賀島寺」でも宇喜多氏を法要しており、愛されている武士である。
高政から重孝、そして官兵衛の父「職隆」、息子・官兵衛は姫路へ移る。黒田官兵衛は秀吉の軍師として、その長男の黒田長政は家康に仕え、関ケ原で東軍で活躍の後、九州福岡52万石の大大名になります。その地名は、この備前福岡ということらしい。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
以降は次を参照
▼セットで行くところ
◆岡山①兵庫西①◆台風を追いかけて!?物部と温泉(湯原・湯郷)の旅→兵庫の円教寺・姫路城
◆鳥取③岡山②兵庫西③京都丹波④◆大山・蒜山グルメ&出雲風土記旅!!30年に一度の秘仏公開[播州清水寺」と西国三十三所1300年草創で特別公開[一乗寺]
その他の旅行記。
▼仏像展
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