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後白河天皇所縁「新日吉神宮」神仏習合が残り三十三間堂などの鎮守社【三十三間堂シリーズ】

妙法院と繋がりがあり、三十三間堂を管理する身である。年一のお祭りでは、妙法院の僧が参拝し、春日大社と興福寺、丹生神社と高野山、若狭彦・若狭姫神社と神宮寺などと同じく神仏習合時代の名残を残す神社。
後白河天皇は天皇退位をして上皇になり実権を握る。後白河上皇は院の御所を定めたときに、皇居の守護神として、比叡山の守護する「日吉大社」を勧請し、「新しい日吉神社」を創祀した。ということで「新」が付く。

変更履歴
2023/02/27 初版

▼HP なし

▼アクセス

京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
※三十三間堂・京都国立博物館から大通りを祇園社に向いて歩くと右側に折れて、まっすぐ行くと鎮座している。

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 「いまひえじんぐう」と読む。後白河天皇は天皇退位をし上皇になり実権を握る。後白河上皇は院の御所を定めたときに、皇居の守護神として、比叡山の守護する「日吉大社」を勧請し、「新しい日吉神社」を創祀した。それが1160年で「新」が付く。祭神は大津・日吉大社や京都・松尾大社の神「オオヤマクイ」。

 当初は智積院南側に創建されたが転々とした後に現在の場所に移った歴史がある。「新」とつくが、1160年創建の古社。
 前述の通り、日吉大社から勧請したので、当初の祭神は、オオヤマクイ、賀茂玉依姫命、オオムナチ、田心比売命(タゴリヒメノミコト)、菊理比売命(ククリヒメ)、オオヤマクイの荒魂、賀茂玉依姫命荒魂の7柱で智積院内に鎮座したとされ、消失や移転で1897年に現在の地に落ち着いた。

→神猿(まさる)さんこと狛猿

 神社の名前からわかる通り猿が大事にされており、狛犬ならぬ狛猿があり、金網に入れられている。これは「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」という理由があるらしい。
 一部の神社では、暴れる狛犬は足を結ばれているのだが、ここは金網ですね。そのうち総合格闘技の神社と呼ばれるかも!?

→拝殿・本殿

 拝殿です。

本殿です。

 「日吉神=山の神(比叡山、白山)+オオムナチ(縁結びの神。出雲の神)+海の神(宗像3女神)」となる。また「日吉の神遣い=猿」なので狛犬ならぬ狛猿となり、拝殿前にオクニヌシ(大黒天)と神像猿が安置されていた。
 本殿から境内の写真の後に本殿左右を回る。

 本殿背後に神木「すだじい(椎の木)」がある。独特の雰囲気と根元にある磐座が、まさに原始信仰跡という感じがするが、江戸時代以前からここにあったとされるが樹齢は不明らしい。

→愛宕神社・秋葉神社、樹下社

 本殿左には愛宕神社と樹下神社がある。特に樹下神社は豊臣秀吉を祭神にし、重要な社のようだ。

 樹下社って「木下」だったかも?祭神は豊臣秀吉ですね。豊臣秀吉は木下藤吉郎の姓にあやかったようだ。2018年の台風で京都の神社仏閣が被害を受けた。ここも受けたようだ。

 煌びやかな近代楼門か?と思ったが、京都女子大が横にあり、お祭りをしていた。

 最後に、御朱印が多い神社でもある。楼門前には御朱印の看板があり、5種類あるので全部いただくと1500円なのかな・・。と思ったら、境内5社朱印は1.000円でした。ラッキーって、高いよな。。。まあ~再興するためにも奉納のつもりで御朱印をいただいた。千年後の京の人たちのために。

▼旅行記、セットで行くところ

▼仏像展


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