近江八幡の磐座!惟喬親王の足跡「出雲神社&加茂神社&長田天満宮」磐座は圧巻なり【近江八幡シリーズ】【滋賀湖東シリーズ】
ふと見つけた「出雲神社」と「加茂神社」が同じ鎮守の森へ並んでいる。出雲系多いよな~神功皇后や聖徳太子所縁のちなんだけどな。。何かあるな!と思い行ったら、おお~何この磐座や由緒は!!
859から877年に、惟喬親王がここへ居住されたそうで、里人が丁重に世話をしたらしく、なにか望みがあるかと尋ねると、村人たちは地名を賜りたいと願い、親王は御所落村を賜った」とさ。
変更履歴
2022/10/21 初版
▼HP なし
▼アクセス
出雲神社:滋賀県近江八幡市御所内町596
加茂神社:同上でOK。
長田天満宮:滋賀県近江八幡市長田町1-1
▼祭神
出雲神社:スサノオ、オオクニヌシ、イナダヒメ
加茂神社:不明
長田天満宮:菅原道真
▼見どころ
▽出雲神社:スサノオ、オオクニヌシ、イナダヒメ
スギの大木。5mほどで二幹に分岐している。
写真は切れていますが、主祭神はスサノオです。妻・イナダヒメとスサノオの娘・スセリヒメを娶り国を平定したオオオクニヌシですね。
社伝によると、吉備大臣の子孫・田祚暦が出雲大神を勧請したと伝える。その後、足利善政が神領地を寄進するが、兵火で焼失したが、修復して今に至る。4月初めに、三日間行われる「松明祭り」が有名。
出雲神社の話では、出雲山麓へ遷宮された際に、長田の天満宮、友定の八坂神社、西宿の聖神社、金剛寺の若宮神社、杉森の日枝神社、御所内の加茂神社、西本郷の本郷神社、野田の八幡神社へ分霊されたとか。
とすると、加茂社はコトシロヌシかアジスキタカヒコネ、天満宮はアメンオホヒかもと思ったり・・。
▽加茂神社:別雷神
出雲神社本殿右に小路があるので、そちらを進みましょう。鎮守の森を見ていると磐座が現れます。
出雲神社が鎮座し、東側に小さな岩山を背後にして鎮座するのが「加茂神社」である。「御所内村は、もと岡部山(出雲山)の麓にあったので岡部村と称していたが、大火に遭い現在の地に移った。
859から877年に、惟喬親王がここへ居住されたそうで、里人が丁重に世話をしたらしく、なにか望みがあるかと尋ねると、村人たちは地名を賜りたいと願い、親王は御所落村を賜った」とさ。
惟喬親王はこの地に在住のとき、京都・加茂神社から別雷神のご分霊を勧請され加茂神社を祀られたと伝える(「滋賀県神社誌」より)。
さて、メインディッシュの磐座が加茂神社本殿の左手にあります。下の写真左下と右上に磐座が寄り添うように社があります。
まずは左下の社へ!
社を覗き込みますが、わからないですね。祭神は誰なのかな・・。
加茂神社も車で来れますが、下の写真の通り狭いですし、出雲神社から徒歩2、3分なので歩きでよいでしょう。
田んぼがありますね、出雲神社横だからアジスキタカヒコネ、コトシロヌシあたりなら、行く人増えそうですがね!?この地域の話では上賀茂神社の祭神です。稲穂は水と雷の要素が必要と昔は考えられたようで、伏見稲荷大社などのお稲荷さんもその要素があるようですね。稲穂を咥える「お稲荷さん」がいるので、この話は信じてよいかと。
では出雲神社・加茂神社を後にして、同じ鎮守の森にある長田天満宮へ徒歩じゃなく車で行きます!?上の写真より状態は良くない穴がある塗装道と砂利道ですが!?
あっ、賀茂氏の牧場、馬絡みの神社は野洲市の「賀茂神社」です。
▽長田天満宮(天満宮神社):菅原道真
砂利道を走ると1分ぐらいですかね。ただ、車一台分の道で駐車場は閉鎖されていたので、200mほど離れた行き止まりのところに止めた。
今思うとバックで下の写真まで入れたらよいなと思うのだが、なにせ車一台分なので落ちたらね・・・。
本殿右手には「金毘羅社」がありました。
出雲神社の神輿庫横の道がここに繋がっているのかも。。
さて帰りますか。田んぼのなかに鬱蒼とした森(杜)がある場合、よい神社マークです!特に滋賀の湖東・湖北や、三重の松阪から伊勢にかけては、参拝すると観光化された神社仏閣とは違う、気持ちがよい雰囲気の神社があるので、是非、立ち寄ってください。ただ、車を停めるところは要注意ですね。
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