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伊勢神宮・風宮の本宮「龍田大社・神社」が法隆寺も守る-法隆寺・斑鳩周辺!-

伊勢神宮内宮・外宮ともにある唯一の御宮「風宮」の神様は、龍田大社と龍田神社の風神である。昔から風神は重要視され、あちこちで風の神様はみられる。龍田大社は本宮で、法隆寺近くの龍田神社は「法隆寺」の南を守るために「龍田大社」から分祀したとの認識であったが違うようだ。
 龍田神社は神仏習合と神仏分離でややこしい経緯を持つ。元々、龍田神社は法隆寺の鎮守社として「龍田比古神・龍田比女神」を祀ったが神仏分離で荒廃し、龍田大社の摂社入りをした。その時に龍田大社の神「天御柱命・國御柱命」を受け入れたようだ。今は「龍田比古神・龍田比女神」、「天御柱命・國御柱命」の両方を祀っている。

さて、先にネタ振りを、淡路島の某神社にここの昔の社殿があります!

変更履歴
2022/11/12 写真増量(2022年11月参拝)
2021/10/08 初版

▼HP

龍田神社:なし
龍田大社:

▼アクセス

法輪寺・法起寺から法隆寺に戻り車で参拝。
 ・龍田神社:奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-3
 ・龍田大社:奈良県生駒郡三郷町立野南1-29−1

▼祭神・本尊と脇時

・天御柱大神(あめのみはしら)
 →別名:志那都比古神(しなつひこ) ※伊勢神宮ではこちら
・国御柱大神(くにのみはしら)
 →別名:志那都比売神(しなつひめ) ※伊勢神宮ではこちら

▼見どころ

▽龍田神社

 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-3。

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 聖徳太子が法隆寺建立の地を探していたところ、白髪の老人の姿をした龍田大明神が現れ、斑鳩の地を告げたと言われている。って、導きの神・サルタヒコ風味の話。
 927年の『延喜式』では「龍田比古龍田比女神社二座」と記載されていることから、現在、右社殿に祀られている「龍田比古神・龍田比女神」の2柱とされる。つまり、当初は龍田大社とは関係がなく神仏分離令で法隆寺と同様に経営難になったと思われ、その時に龍田大社管轄になったそうな。そして、大正時代に元の通り独立して今に至る。

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本殿ですって、写真に入らないの巻。。。

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デ、デカッ・・(2011年の写真です)。

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境内を散策。おっと、力強く日本を代表する古社の神様が分霊されているようだ。なんか強い神様ばかりだな・・。

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▽龍田大社

 ファーストコンタクトは何か良い神社見つけたという感じです。日本書紀に度々、次に記す「広瀬神社」ともに記載された「風の神様」である。
 「龍田の紅葉」とも呼ばれる紅葉の名所であることも記しておく。

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 2020年からさかのぼること訳2100年前!?に、凶作や疫病の蔓延に悩んだ崇神天皇が神託を受ける。神託のとおり、龍田山に社殿を造立したところ、豊作、疫病退散となった。

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 第10代崇神天皇の時代、国内に凶作、疫病が流行し騒然としているなかで、天皇の御夢に「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて云々」という御神託があり、その通りに御宮を運営すると豊作に転じたそうな。

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 ※ここからは公式HPの境内を見ながら読んでください。m(__)m

今から約2100年前、第十代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています。
<延喜式・龍田風神祭祝詞より>

公式HP
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→拝殿・本殿

 さて、拝殿です。面白い造りです。拝殿奥は本殿があるところがほとんどですが、拝殿と本殿までに間、左右に摂社・末社があります。

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↕拝殿

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拝殿横を抜けるとさらに鳥居があり、左右に摂社・末社がある。こちらも見逃せないよい社殿。

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左側は摂社。龍田"神"社の本来の神様
 ・龍田比古命(たつたひこ)
 ・龍田比売命(たつたひめ)
が祀られている。
 神社では『「龍田」の地名は古く、初代神武天皇即位の頃までさかのぼり、龍田地区を守護されていた氏神様と伝えられる夫婦の神様です。』と説明があり、前述の龍田神社の由緒も加味すると、争いや政治によるものではなく、元々産土神が龍田夫婦神(造語)で、農作などと紐付いたか、伊勢神宮遷宮で主祭神の名称になったのかも。いや、龍田大社は風の神で、龍田神社は産土神を分けていたのかも。法隆寺を守るためとかで神様を合祀したのかも。まあ~今風に言えば「正本と副本」「データ同期」とでも言うべきか!?

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右側は末社。奥から順に
 ・上座:天照大御神・住吉大神の相殿
 ・中座:枚岡大神・春日大神
 ・下座:高望王(たかもちおう)のお妃(平家の祖先)
である。

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 そして正面の本殿は右に「天御柱命(あめのみはしらのみこと)」で左に
「国御柱命(くにのみはしらのみこと) 」を祀る。

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 拝殿と本殿の鳥居に戻り参道戻りの右側(境内では左側)は別の末社がある。末社は次の写真の通り。恵美須神社は鎌倉時代に兵庫県西宮市の「西宮えびす神社」より分霊をしたらしい。所謂、ヒルコの恵比寿さんだが、なぜここに?

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→白龍神社

縁結び・浄難災難除けの神様。江戸末期から明治末期まで、御神域に白蛇として現れ信仰されていましたが、一夜にして姿が見えなくなりました。その後、明治41年春、突如にごり池(現在の北葛城郡広陵町(きたかつらぎぐんこうりょうちょう)に白龍として出現されましたので、この地にお迎えし、お祀りしました。

公式HP
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2022/10/29 視線を感じた方向に・・・

→龍田恵比須神社

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福徳円満・商売繁盛の神様。鎌倉時代兵庫県西宮市の西宮えびす神社より御分霊を勧請(かんじょう)し、やがて江戸時代には荒廃していましたが、昭和62年に復興しました。

公式HP


→三室稲荷神社

福徳円満・商売繁盛の神様。創建年代不詳。

公式HP
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→境内

最後に日露戦争の戦利品!?

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そして伊勢神宮の遥拝所。

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→下照神社

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祖霊社。明治時代創建

公式HP

 出雲だ・・オオクニヌシの娘で色々謎解きになっているシタテルヒメが御祭神。と思っていたが、本NOTEを更新していて気付いたがオオクニヌシが祭神なんですね・・。

→オマケ


▼セットで行くところ(旅行記)

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