うちの夫婦は結構平等だ

どーも、ひとりしゃちょうです。

我が家では、家賃、生活費、交際費等の金銭面は基本的に割り勘で、もちろんごはんの準備、掃除、洗濯、茶碗洗い、買い物等の家事も当然全て平等に行っている。


「権利と義務」という義父の言葉を聞いて育ったという彼女も、僕の尖った考え方にそれなりに理解を示してくれてそんな生活を送っている。


旧来型の結婚というシステムでは、男は仕事、外からお金を稼いできて、女は家事、家を守るっていう分業が行われてきた。仕事でもそうだと思うのだが、専門セクションを作るという事は、もちろん効率が上がるし、合理的ともとれる。


けれど、自分達の親世代を見ていると、常に何かしらの精神的な不満を抱えているように見える。分業した時点で義務が明確化されてしまい、相手に対して権利を主張したくなってしまう。なんだったら義務を全うしてなかったとしても。

男「仕事で疲れているんだから、家事は全部やってくれよ」

女「給料少ないんだから、ちょっとは手伝ってよ」


既に世界的に男女平等の社会に向かっているし、ヨーロッパでは男女不平等と感じることは少ないという。日本でも社会的に女性が活躍できる場がようやく少しずつ増えていっているし、男子ごはんなる番組も定着して、男性もこれから一層家事ができなきゃいけなくなるだろう。この流れは不可逆的でこれからはさらに加速していくと思う。


ちなみに僕らには子供がいない。日本とヨーロッパの違いはまさにそこで、育児に対するシステムがすでにヨーロッパにはある。だからこそ、僕らはこの生活を続けていけているというのは間違いなくある。今後の日本の課題は、子育てに優しい環境を社会全体で作っていくことだと思う。それなしでは男女平等はありえない。


そんな僕も妻も現状の生活には結構満足できていると思う。男であっても家事をやらなければならないって必然的に思えるし、妻も、自分達の母親が精神的に戦ってきた、養ってもらっているという引け目を一切考える必要がなく、堂々と半分家事をやっている。


それぞれが、仕事と家事をやっているからこそ、どちらの大変さも面倒くささも分かる。だからこそ、相手に感謝できるし、何事も必要以上には望まない。どちらかが体力的に出来ない時は、どちらかが補えばいい。どちらもダメな時は、部屋が汚くたって、美味しいものを食べられなくったって、そもそもそれ自体を諦める。「やれる時にやれる事をやれる人がやる、やれない場合は諦める」、これが我が家のポリシーだ。


友達と一緒、友情は稼いでいようがいまいが飲み代は割り勘。親しき中にも礼儀あり。平等であるがゆえに、相手を思いやれる丁度いい距離感がそこにはある。


ってことを考えながら、今日の晩ごはん何作ろうかなーって思いを巡らせてみた。

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